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0305_ツナグ

 曇り空だった。
 私はまだ眠気が覚めず、ぼんやりとした頭で歩いていた。すでに駅は通り過ぎている。仕事にいかなくてはならないのに、そう思いながらも先を進む足は止められず、だからと言って早歩きなわけでもなく、とろとろ歩いていた。
 静かに、生きることを考えていた。生まれて、守られて、もしくは守られなくても成長し、いつしか自分で生きるようになり、生きながらえ、時が来れば死ぬ。これになんの意味があるのだろうかと、昨日、仕事から帰る道すがら疑問に思ったのだった。そしてそれを今まだ考えている。もしかしたら、その帰り道で出会った街の知らない人々のその順番が影響したのかもしれない。
 駅の改札を出て、最初に目についたのは小さな小さな赤ちゃんを抱いた女性であった。誰かを待っているのか、時折周りを見ては愛しそうに我が子の頭を撫でていた。
 彼らを通り過ぎると、今度は両手に子供の手を引く男性が見えた。両側から話しかけられるそれに交互に答えている。その側を車が通り、彼は子どもたちを守っていた。
 その後に、学生同士のカップルが手を繋いで通り過ぎ、前からは夫婦だろう2人が歩いていた。
 そしてまた、赤ちゃんを抱いた女性とその横には男性がいる。駅の改札で見た女性とその子であった。待っていたのは父親だったのか、お互い内側に寄り、支え合うように歩いていった。
 なんとなく、ここまでに一部の人の人生の繋がりを見たように思えた。生まれて育ち、また生まれる。必要があって世界を続けなくてはならないのなら、それが使命の一つなのかもしれない。
 先を行き、信号を待っていたところで、高齢の夫婦があった。はたと気づく。そうだ、生まれて産んで、それで終わりではない。生まれて産んだのち、死まで生きるのだ。見るとその夫婦は手を繋いでいる。繋ぐ、と言うよりは繋げているようにも見えた。そして2人は笑っていた。

 その夫婦を思い出して、私は歩いている。来た道を戻り、やっぱり仕事に向かうために歩く。
 生きて死ぬ、それを繋げるために、私は歩いている。

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