0110_私の歩く道
私は今、外を歩いているのだが、ふと思う。
私はなぜ歩いているのだろう。
なんのために足を踏み出し、その足と逆の腕が前に振られ、肢体がそれに付き従うのだろう。お昼休みだから昼食をとりに行くんだけど、だったら、なんで私は昼食をとりに行くのだろう、となる。
つまるところ、なんで私は生きているのだろう、だ。
くだらないなぁと思いながら、私はぼんやりと歩みを進める。生まれたいと願ったわけでもない(もしかしたら前世やなんかでそう願ったのかもしれないけどそんなことは分からない)。生まれてからも『このまま生きる』それとも『もう生きない』の選択を迫られたことはなく、私はそれが当たり前のように生きている。生きて、呼吸をし、飯を食い、仕事をし、たまに娯楽に身を預け、風呂に入って眠るのである。
なんのために。
私はもう何年も生きる理由を考えたりしている。不毛である。考えることに意味があるとも思えないし、正解があるとはもっと思えない。でもひたすらに、私は考えるのである。
そうでなくては、生きる意味がないと思うからだ。
周りを行く他人はどうしているのだろう。皆、考えているのだろうか。考えることが重要とは決して思えないが、考えずにはいられない私にしてみれば、皆はどうしているのだろうと不思議に思うのだ。もし、同じように考えて、その上で平然とした顔で、これもまた当たり前のように毎日起きて仕事をして、食事を作り、子育てや介護までしているとすれば、なんと超人なんだ。と、私はとても素直に感心する。
「君は、少し長いスパンで物事を考えすぎだ」
精神科の先生はそう言っていた。何年も先までと思うとしんどいから、まずは今日を生きることを考え、次には向こう3日、その後で1週間、1ヶ月と先に伸ばして考えよう。そうすれば、自ずと今日、3日、1週間、1ヶ月と生きることができるよ。君が思うほど、人生は複雑に出来ていないはずだ、気楽に生きよう。こんなことも言っていた。
そんなことは知っている。
難しく考えずに、今日を生きれば明日も生きる。明日生きれば明後日も生きられる。そうではないのだ。私はただ、なぜ私が歩いているのかを知りたい。なぜとなりのあの子が笑っているのかを知りたい。少し先の老人が怪訝そうな顔で名瀬カバンの中を探しているのか知りたい。
ただそれだけなのだ。
私はそのどれも分からず、今も考えている。そうして、ただただ歩くのだ。
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