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8月15日 すいとんで平和を学ぶ日
「平和やね」
大雨の今日の空を見て、祖母が静かに言うのでいったいどこが?と私は思ってしまった。けれど、もしかしたら祖母の家のあたりは止んでいるのかもしれないと思い直し、聞いてみる。
「そっちは雨止んだの?」
「いんや、雨はずっと降り続きよる」
それではいったいなにが平和なのだと思い、私はお椀を手に取り、そのつゆを啜った。
あ、平和があった。
「久々に聡子に作ってもらったんやけどね、やっぱりおいしいわな、今のすいとん汁」
「うん、そうだねぇ。具もたくさん入っているし、だしの味がしっかりあっておいしい」
もう一口啜る。つゆを啜ろうと思うと、自然に人参や大根の具材が口の中に寄ってきて、それを避けようと箸を使う。
「あの頃なんて具も味もなかったでな。すいとんやって、すいとんにもなってなかったわ」
祖母は思い出すように言い、ずずず、と音を立ててそれを口にした。
今日は祖母の87歳の誕生日である。あいにくと今はお互いに外出自粛をしているので会えないが、せめてと思い、ビデオ通話をつなげたままで一緒にお昼ご飯を食べることにした。先日、一緒になにを食べようかと聞いたところ『すいとん汁』が良いと言ったので、祖母と一緒に暮らしている聡子おばさんに連絡し、用意してもらうのと同時に作り方も聞いて私も同じものを食べている。おばさんはこの時間パートに行っているので祖母と二人での通話だ。
祖母は静かで穏やかな性格である。普段からいろんなことをあまり話しすぎない。私もどちらかと言うと大人しい方なので一緒の時間はどこか落ち着くのであった。親戚と家族を交えた誕生日会は夜にビデオ通話で集まるらしいので、私はひっそり昼間に繋いでみた。
「雨、ずっと降っているね」
「そうやねぇ、でもまぁ、いずれ止むでしょう」
そう言ったあとにまた、ずずずと汁を飲み、それを味わうように祖母は目を閉じた。
「うん、平和やわ」
私は、祖母が閉じた目の中になにを見ているか、知らない。
知らないし、分からない。学生の頃に勉強したのでおおよその想像はできるが、けれど例えばその時の天気や気温、風の強さや匂い、何かに触れる手触り、その気持ちなど、祖母が知っていることを私は知らないのだ。
それはすいとん汁の味一つとってもそうである。
「毎年、この時期になると一度は食べておきたいわ、すいとん」
「うん、おいしいね」
ようやっと具やすいとんに箸をつける。すいとんはモチッとしていて適度な弾力が箸を通じて心地よい。口に入れて咀嚼する。すいとんの表面、周りの生地がとろとろに溶けだしておりそれがまたおいしい。
「生きていだけでる幸せだとよく聞くけれど確かにそうね。そして生きることの基本は食べることだから、食べるものが美味しければそれもまたこの上ない幸せなのよ」
祖母はすいとんを食む。小さくして、よく噛み、飲み込む。
決して忘れないその時を一つずつ丁寧に思い出すように。
私も、祖母に平和を願い、すいとんを食む。
雨はまだ降り続いていた。
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【今日の記念日】
8月15日 すいとんで平和を学ぶ日
愛知県犬山市で草の根の平和活動を行っている「すいとんの会」が制定。こどもたちに戦争や原爆の愚かさや悲惨さについて語り、戦時の代用食とされた「すいとん」を食べながら食糧難のことなどを話して平和の尊さを伝える。日付は1945年(昭和20年)8月15日の「終戦の日」は現在まで続く平和の始まりの日でもあるとして、平和を学ぶのにふさわしい日との思いから。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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