触れ続ける文化、守り始める文化
着付けを師と呼べる先生から
毎週欠かさず学ぶことができる日常は、
私を1本の木とすれば
根っこから程近い場所にある太い枝となってきた。
そこから生える葉っぱは、
着物や古いものへの愛、
糸となる植物や昆虫をはじめとした自然界への敬意、
好きなことに没頭して穏やかになる精神などかしら。
京都には呉服店も着物を着ているひともたくさん。
横目で見ていた着物文化に自分の手で触れてみると、
歴史やそれに携わるひとのことだとか
問題(職人の後継者不足だとか、
高くて洋服みたいに気軽には買えないとか)に
自然と遭遇することもある。
そのたびごとに、感動として衝撃として
思い出として知識として残る記憶が蓄積されていく。
そうして、ちょっとずつ着物という
ひとつの日本文化を大切にしたくなる感性が
磨かれていっているのかもしれない。
着物をどんどん好きになる。
それは、10年前に移住してきた京都を
まだまだ、どんどん好きになるのと同じ感覚。
ずっと、自分を磨き育む存在を
愛せる状態でいることができたら、
それは健やかで幸せなことなんだろうなあ。
そんな存在にずっとずっと、感謝していきたい。
そんな存在を静かに静かに守っていきたい。
そんな物思いにふける9月の満月の翌日。
本当ならば、十五夜に鴨川で京都のお月見団子を食べながら
おつきさまを眺めてこんなこと考えていたかったなあ。笑
着物だけかじっただけで
まだまだ新米な京都移住者である!