2024年を振り返ってみる
今年の年末年始は、人生で初めて一人で過ごします。
最後の最後に、憎きインフルエンザにかかってしまったから。
任されていた職場の企画も、家族との久々の楽しい時間も、いとこの20歳のお祝い会も、2ヶ月ぐらい前から姉弟LINEグループで話していたSwitch対戦も、ずっと楽しみにしていたコストコに行くのも。全部全部パーに。
まあ、なってしまったものは仕方がなく、ジンジンズキズキと容赦なく全身を襲ってきた関節痛もおさまり、ようやくベッドから起き上がれるくらいにまでは回復してふと思ったのは、「あー、きっと私は今年いろいろ詰め込みすぎていたんだろうな」ということ。
去年からの流れで今年は、「興味のあることはとりあえずやってみる!」「今は経験を積む時なんだ!」という気持ちが高まっていて、好奇心のままに動いていた気がします。その皺寄せが最後のインフルエンザになって返ってきたのかも。
「もうちょっとスピード落としなよ」
っていうサインだったんでしょうか。
でも、その好奇心は本物だったことも事実で。だから「これがやりたい!」と直感で感じて行動した自分も責めたくはないなと思っています。そのおかげで得られたものもたくさんあったので。
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今年は職場の人間関係(という表現でいいのでしょうか)がガラッと変わった年でした。私の前を歩いて、その背中でたくさんのことを教えてくれた先輩スタッフが数名卒業していきました。(でもみんな、次のステージに進むためという前向きで喜ばしい卒業です。)
そして気づけば、必然的に自分がその先輩方の立っていた位置に立っていました。
それはもう、ようやく二足で歩くことができるようになった赤ちゃんが、急に「走れ!」と言われているような感覚。
周りから求められるレベルと、今の自分のレベルにあまりにもギャップがありすぎて、辿々しい足取りに、ずっこけのオンパレード、、、笑
そんな時期が3〜4ヶ月ぐらい続いて、ようやく何かから抜け出した感覚が出始めたのはつい最近のことです。
これは私の中での感覚の話なのですが、
何かの「判断」を迫られた時、自分の頭の中にある全ての引き出しのラベルを見るんです。そこから関係する情報がありそうな引き出しを片っ端から開けてみる。開けた引き出しが全然意味ないものもあるし、一発でヒントが入っているものを引き当てることもある。
さらにその引き出したちに入っているあらゆる部品を出しては繋げていく。
、、、の繰り返し。そうやって一つの「判断」を作り上げていく感じ。
そう思った時に、なぜ魔の4ヶ月を超えて「ようやく何かから抜け出した感覚が出始めた」のかは、きっとその「引き出し」や、中に入っている「部品」が増えてきたからなんじゃないかと。
仰々しく書きましたが、端的にいうと、ちゃんと根拠を持って判断ができるようになってきた、判断材料が増えてきた、ってことなのかなと思いました。
ずっこけ続けて、進んでいるのか下がっているのか分からなかった数ヶ月は、引き出しや部品をひたすら集めて貯めている時期だったのかもしれません。
もちろん、まだまだ収集することが数多あるのは重々承知なので、私はこれを「宝探し」とでも呼びながら続けていこうかなと思っています。
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そんな2024年でしたが、来年はもうちょっと余裕を持って生きていきたい気持ちがあって。「20%余分に余裕を作って」過ごしていこうかなと。
余裕を作る、だけだったら、多分またカツカツになりそうなのであえて先回りする心持ちで笑