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痛みをなかったことにしないでね

(アルコール依存症のだんなさんと、子どもを置いて出張に行く際のとりくみ・・・子どもへの対応編をアップします・・・と言っていたのですが、まだまとまらず、後日アップします)


先日ヨガのクラスに参加しました。
ちょっと体調が悪かったので、それをインストラクターにお伝えすると「今日のヨガの時間は痛みをなかったことにしないでね」と言われ、とても心に残りました。最近、痛みや苦しさをなかったことにしていたかも・・・と思いがよぎったわけです。

確かに体の痛みも心の痛みも、「痛い」と認識すると、痛いながらも良い方向に向かう経験があります。
また反対に、痛みに蓋をし続けると、さらに強い痛みや、得体のしれない苦しさに見舞われることもあったなあ・・・と思い、じっくり考えてみました。

痛みとの付き合い

痛みを「痛い」と認識すると何が起きているんだろう・・・
振り返ると、痛いから庇うことができるし、他の方法を試すこともできる。こうやって痛いながらもどう行動するかしないか、様々な選択肢が経験上積みあがっていくように思います。
そうこうしているうちに、時間の経過も味方して治癒していったりします。

一方、痛みに蓋をしてなかったことにすると、単純に負担がかかり続けますよね。あわせて、痛いのにさらに痛くなる行動を無意識的にとってしまうので、傷が深まったり、さらに悪化したりもする。

なんで痛みをなかったことにしてしまうのか・・・・。

理由はいろいろあります。
忙しい、頭が回らない、痛いことを認めてしまうと立ち行かなくなる事情があるなど。
もうひとつ、思い出してはっとしたのが、痛みに蓋をする癖があることかなと思いました。

痛みとの付き合いにも癖があるし、他のやり方を試すには勇気がいる

これまでの経験から、痛みに蓋をし続けることが癖になっているパターン。
自分が我慢すればうまくいく
誰かが悲しむから・・・
弱いと思われたくない
他にもっと痛い人がいる・・・
など、はじめの動機はそれぞれで、私も思い出せもしないのですが、痛みに蓋をすることが常態化し、ついついやりがちなパターンとして陥ってしまうことが多いかなと思いました。
人によっては、痛みに蓋をする以外の方法を持たなかったり、いということもあるなと。

そうなるとやはり、痛みを感じることは怖いし、いざという時に思いつかないし、「痛みをなかったことにしないでね」と言われても、どうしたらいいのかわからない。
あれ?私どうやって痛みを感じてたっけ?となりました。
痛み感じ筋?みたいな筋力が弱っていたこともあり、やっぱり勇気が必要でした。

はて?痛みを感じるには?

実際、ヨガの時間に「痛みをなかったことにしない」に取り組んでみました。
気を付けていたのは

  • とりあえず「他の参加者と比べるとかもってのほかよ!」と自分に言い聞かせてからはじめた

  • 痛いな~」「私は今ここが痛いんだなあ・・・」と自分の心の中でただただつぶやく

  • 「痛いからダメ」とか「痛いからできない」とかのジャッジを加えずに、ただ淡々とポーズをできる形で追う

  • やりすぎて痛みが強くなったら、勇気を出して戻る、止まる

です。

やってみると意外と痛みとともにありながらも、痛みを受け入れている感じがして、心穏やかにヨガの練習ができました。

「筋肉痛は筋肉の喜び」

おそらく、なかやまきんに君の言葉だったかと思うのですが、私は痛みを感じた時、この言葉を思い出します。きんに君サイコーです。
これは痛い中でも無理してトレーニングをする・・・という事ではなく、痛いから様子をよく見て、対処し工夫することで、筋トレは継続ができるし、筋肉は着実に成長していくということかなと理解しています。
痛みはなくならないけど、これは成長の証と思えると、ちょっとだけ前を向ける気がしています。

悲しみ、嫉妬、怒り、あきらめなど、自分を苦しめる感情も同じかもしれませんね。
なかったことにしない・・・を意識し、できるだけ忘れないようにしながら過ごしていきたいと思います。

子どもも痛みを感じられる心を守ってほしいなと願う

あわせて、子どもにも痛みに蓋をする癖をつけさせたくないなあ・・・と思うわけですが、アルコール依存症者との暮らしって、知らず知らずに、子どもから子どもらしさを奪うことがある・・・と、とてもとても危惧しています。

まずはなにがあっても「あなたは悪くない」「怖くて、びっくりして、困惑して当然」でを伝え続けたいと思い、取り組んでいますが・・・。

そのうち、この本を一緒に読みたいなと思っています。


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