ばあちゃん、お茶しよう(頚椎腫瘍 23)
少しずつ回復するにつれ、また、リハビリで体を動かすせいもあって、食欲が出てきた。
この病院は野菜中心のメニューで、新潟地震の影響で青菜などが高値のときだったにもかかわらず、毎日ふんだんに青菜のお浸しや野菜の煮物が出た。
私は野菜が好きで肉より魚をよく食べるから、ここのメニューは気に入った。味付けもちょうどいい。
それでも、1カ月もたつとさすがに飽きてきた。
しかも、私はやせているのに高脂血症食で、揚げ物や炒め物は滅多に出ない。
献立表にミックスフライと書いてあるので楽しみにしていたら、私だけ焼き魚でがっかりしたこともある。(あまり嘆くので、次にミックスフライが出たとき、三崎口夫人が自分のフライを私の焼き魚と交換してくれた。)
毎日、寝ていて考えるのは食べ物のことだ。銀座の登亭のうなぎが食べたい。天一の天丼が食べたい。そんなことばかり考えていた。
1度、Yさんに電話して、今度来るときソーセージを巻いたパンを買ってきてと頼んだことがある。
私はパン党で、朝昼晩と3食パンでも文句は言わない。
朝食はコーヒーにトーストにサラダという生活を何10年も続けてきた。
入院してから朝食をパンにしてもらえるというので喜んでいたら、ご飯の代わりに食パンにはなったものの、おかずはご飯のおかずのまま。それではパンに合わないので、またご飯に戻したのだった。
週末の朝食はパンが出るが、焼き立てのおいしいパンに飢えていた。
Yさんが買ってきてくれた焼きたてのソーセージパンは久しぶりで、おいしくて感激した。
同じく高脂血症食の茅ヶ崎夫人は、口が奢っているので病院の食事に不平たらたらだ。
ある日、外出して、病院のそばの寿司屋でまぐろの刺身と握りを買ってきた。
食事どきに同室の全員に配ったので私もいただいたが、「お寿司ってこんなにおいしいものだっけ?」と、これまた感激だった。
偶然この病室の人たちは資産家が多かった。
みんな家族に言って食べ物を豊富に持ち込むし、気前良く他のメンバーにも分けてくれる。
茅ヶ崎夫人からはりんごや和菓子やお煎餅や梅干し(私が食べたいと言ったら大きな瓶ごとくれた)など。
三崎口夫人からは煮魚やデパートのお惣菜やプチトマト、自宅でとれたみかんなど。
錦糸町のおばあちゃんからは漬け物や、自家製のぜんまいやひじきの煮物。
下の娘さんは、来るたびにパック入りのキュウリとカブの漬け物を持ってきてみんなにも分けてくれたが、しまいには1人に1パックずつ配ってくれた。
私はふだんは滅多に漬け物を食べないが、病院では漬け物が出ないのでおいしく感じられ、さっぱりして食が進んだ。
錦糸町のおばあちゃんの娘さんたちはみんな私よりだいぶ年上だったが、真ん中の娘さんは何故か特別私に同情して、来るたびにおばあちゃんに内緒で煮物やお菓子をくれた。
わざわざマクドナルドでフィレオフィッシュを買ってきてくれたこともある。
おばあちゃんにみつからないように、帰るふりをして病室の外へ消えたかと思うと、さっと戻ってきて私のベッドに差し入れを投げ込んでいく。
「若いのに大変だねぇ」
と、首の腫瘍を取ったばかりなのに脳腫瘍の手術も控えていると聞いて、しきりに可哀想がってくれた。
私は自分のことをさほど可哀想だとは思っていなかった。
むしろ、中井先生に巡り合えて手術が成功したのを幸運だと思っていたが、こうして親身になって同情してくれる人がいるのはありがたかった。
食事どきにはあちこちからおかずやくだものが回ってくるし、食事の合間にはおやつが回ってくる。
おやつのお菓子は圧倒的に甘いものが多く、みんなから毎日何かしらもらうので、とても食べ切れなかった。
カステラ、どらやき、クッキー、チョコレート、フルーツゼリー……。甘いものはもうたくさん、と言いたくなってしまうくらいだった。
食べ物だけではない。
茅ヶ崎夫人はお茶が好きで、日本茶を入れてはみんなにもふるまった。
「ばあちゃん、お茶しよう」
そう言って、茅ヶ崎夫人は錦糸町のおばあちゃんのベッドのところへ行く。
そこで椅子に腰を下ろし、お茶を飲みながらお喋りするのが日課になっていた。
錦糸町のおばあちゃんは驚くべき記憶力の持ち主で、子供の頃の生活や、戦前・戦後の暮らしについて話し始めるとみんなが聞き入ってしまった。
細かいことまでよく覚えていて、品物の数や物の値段など、数字をしっかり覚えているのには驚いた。
89歳の今も好奇心旺盛で、孫のMちゃんも、
「おばあちゃん、すごいよ。ケータイにも興味持つんだから」
と感心している。
本人は耳が遠くて目もよく見えないと言うが、頭の回転が速いことと記憶力の良さではだれにもひけを取らなかった。
茅ヶ崎夫人の方は、小型犬を飼っていてその犬の話がとても面白かった。
私は自分では猫を飼っているが犬も大好きなので、犬の話はいくら聞いても飽きない。
茅ヶ崎夫人が腰の手術で病室を留守にしている間、本人は、
「お茶っ葉ここにあるから、私がいなくてもみんな飲んでよ」
と言っていたが、やはり遠慮してだれもお茶をいれなかった。
お茶を飲みたい気もするし、お喋りをしたい気もする。
ほんの数日の間なのに、「ばあちゃん、お茶しよう」という茅ヶ崎夫人がいないのは寂しかった。