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Macintoshでゲーム
ビジネススクール時代、パソコン教室にMacintoshを導入した。
最初はMacintosh SEを試しに1台入れてみて、マニュアルを書いて生徒募集したら、グラフィック関係の仕事でパソコンを使いたい人が習いに来た。
手応えを感じたのでもう2台追加した。
MacintoshはIBMやNECのパソコンよりコンパクトで画面も小さかったが、まだとても高かった。
ハードディスク内蔵型で8インチ単色モニターの機種が、1987年当時60万ぐらいした。
1984年に発売されたときはもっとしたはずだ。
同じ時期(84年)に富士通のMy OASYSが70万ぐらいだった。
富士通の公式サイトには、82年に発表されたMy OASYSについて、「小型化と低価格化を図り、初めて100万を切った」と書かれている。
パソコンの価格は年々下がっていたが、事業所ごとに1台とか各部署に1台で、今みたいに1人1台が当たり前の時代ではなかった。
Macはそれまでの無機的なマシンと違い、可愛くて人間くさい魅力があり、1台ずつ名前を付けて呼んでいた。
最初に入れたSEにはBetty、後の2台にはPattyとJudyという女の子の名前を付けた。
Mac人気が高まったので新たに増やしたMacintosh IIは、SEよりひと回り大きく男性的なイメージだったので、JimとかAlexといった男性名を付けた。
これは思いのほか便利で、インストラクターたちとの間で、
「今、Betty使っていい?」
とか、
「Judyに入っている◯◯を、JimとAlexにもコピーしてくれる?」
などという会話が飛び交った。
MacPaintやMacDrawといった内蔵グラフィックソフトの講習用マニュアルには、イラストをたくさん入れて説明しなくてはならなかったが、私は絵の専門家ではないので、幼稚園児のお絵描き程度の絵しか描けなかった。
単純な家の絵を描いて、屋根の三角形はこれを選択して、模様はこれを、ドアの長方形はこれ、模様はこれ、といったように、白黒で表情のある絵にする操作方法を書いていった。
生徒たちはグラフィックの勉強中だったり、すでにイラストレーターとして仕事をしていて、Macintoshの使い方を習いに来た人たちばかりだった。
彼らは一度マウスやソフトの使い方を覚えてしまえば、練習時間にあっと驚くような作品を生み出した。
芸術的な絵や、ユーモラスな恐竜や魔女などもあり、欲しくなって印刷したのをもらって帰った。
正社員になってからは拘束時間が長くなり、マニュアル書きもなく生徒もいない暇な時間もできた。
そんなときはMacintoshに内蔵されているゲームソフトを立ち上げて遊んだ。
私が好きだったのは「シャッフルパックカフェ」というゲームで、対戦相手の怪物たちとエアホッケーをするのだが、連中はそれぞれ勝負するときのクセがある。
そのクセを飲み込んで対戦しないと勝てない。
自分が負けると「ウウーッ」と唸り声をあげる怪物もいた。
この絵を見ると、1960年代にテレビで見たアメリカのドラマ「アダムス・ファミリー」を思い出す。
母親が真ん中に立っている黒衣の女性に似た魔女だった。
登場人物がフランケンシュタイン似の執事だったり、子供たちは不気味な遊びが好きだったり、全員が異様で面白いドラマだった。
もうひとつ好きだったのは、カメの背中に動物がシールのようにたくさん張り付いていて(カメの背中ではなかったかも)、同じ動物をクリックすると「ポン!」と鳴って消えるもの。
制限時間内に全部消すと、「タララララッタラーン」とファンファーレが鳴り響いた。
ネットで検索したいのだが、ゲーム名が何だったか思い出せない。
部下の女性もこのゲームが好きで、暇な時間があると交代で遊んでいた。