再び脳外科へ(自宅待機 11)
2月1日、寝箱を棺にしてチビをその中に寝かせ、電話で霊園に火葬の依頼をしてから虎の門病院へ出かけた。
18日に九段坂病院へ行ってからすぐに脳外科を受診したかったが、臼井先生の外来がある金曜日(21日)は体調が悪くて行けなかった。
翌週の火曜日(25日)は臼井先生が休診で、金曜日(28日)に電話したら、先生は学会のため海外に出張していると言われた。
ようやく受診できたのがこの日だった。
臼井先生に中井先生からの手紙を渡し、早く手術を受けたいので入院日を決めて欲しいと言うと、「大丈夫だよ」という返事。
「まだ症状があらわれていないし、2月末まで待っても平気だよ」
そんなぁ。この間はすぐにでもカラーを外して手術した方がいいって言ったくせに。
首の手術の後、減ってしまった体重もまだ増えていないし、また手術を受けるにはあまりにも体力がない。できれば3月まで待ちたいというのが本音だ。
「でも、脳圧が上がっているかもしれないし」
「脳圧なんて上がってないよ。脳圧が上がったら意識が朦朧となってくるんだから」
「でも、毎日頭痛がするんです」
「あなたも気にする人だね」
先生は呆れたように笑った。
「頭痛は脳腫瘍のせいとは言い切れないよ。脳腫瘍の頭痛だったら、ちょっと重苦しい程度なんかじゃなくて、ものすごい痛みなんだから。吐き気もひどいし」
まったくもう!
私は頭痛と吐き気は脳腫瘍の影響かもしれないと言われたのを深刻に受け止めてしまっていた。
実際、私の頭痛はちょっと重苦しいなんてものではなかったし、吐き気もひどかった。
この間は、脳がむくんでいるとか、腫瘍が脳幹を圧迫すると水頭症になるから、その前に取らなくてはならないとか、このまま放置すれば意識障害が起こるとか、怖いことばかり言われた。
先生がすぐにでも手術したいと言うので、カラーを外してもいいか、中井先生にお伺いを立てに行ったのだ。
それなのに、今日は2月末まで待っても大丈夫だと言う。
こんな調子で、臼井先生には虎の門病院退院後も振り回されることになる。
退院してからネットで知り合ったミミちゃんも、脳腫瘍で臼井先生の外来を受診しており、行くたびに先生の言うことがコロコロ変わるから不安になると言っていた。
それでも、とにかく入院日を決めようということになった。
入院は3週間あれば充分というので、土曜日ならケイコさんに迎えに来てもらえるだろうから19日に退院したいと言うと、逆算して3月1日に入院し、手術は7日に受けることになった。
手術に備えて自己血を採るため、22日に採血の予定を入れてくれた。
この日は貧血の有無を調べるために採血し、頭痛の痛み止めを出してもらい、入院手続きをして帰った。
家に帰ったら霊園から電話が入っていたので、折り返し掛けてチビを引き取りにきてもらった。
チビはうちで生まれたトラ子やクマ子と違って誕生日はわからないが、見つけたときはまだ生後半年にも満たない子猫で、それから19年もの間一緒に暮らしてきた。
4月17日に逝ったクマ子のときは、ベランダに咲いていた黄色いフリージャをたくさん摘んで入れてやった。
トラ子は4月6日で、フリージャは咲いていなかったから、花屋で買ってきたピンクの小菊を棺に入れた。
チビには花も入れてやらず、お通夜もしないで送り出すことになってしまった。
猫のいる生活を30年も続けてきて、多いときは1度に12匹も飼っていたことがある。
今のマンションに移る前の家では、近所の人たちから「アンヌさんの猫屋敷」と呼ばれていたほどだ。
家の中で飼っている猫たち以外にも、毎日ご飯をもらいに来る野良猫もいたし、路地の猫たちに朝夕ご飯の出前もしていた。
猫たちのおかげで心豊かな日々を送っていた。部屋の中に猫がいて、猫が幸せそうにしていると私も幸せな気分になった。
これから先は自分に何が起こるかわからないし、次に飼う猫の一生に責任は持てないから、もう猫とは暮らせない。チビが最後の猫になった。
チビにしてやれなかったことを思っては後悔に苛まれたが、これで心置きなく入院できるのも事実だった。私が責任を負うものは、もうだれもいなくなったのだから。
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