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幸せな人生

 今、病室で書いている。


 私はこれまで自分の人生が幸せだったか不幸だったか考えたことがなかった。

 今回思いがけない病気で入院することになり、まずその症状について病院で外科の先生に診てもらった。
 初診で手術が必要と言われてすぐに入院日が決まり、血液検査やレントゲン、心電図などを撮って帰ってきた。

 1日置いて土曜日にもう1度外科の外来を訪れた。
 検査の結果は問題なく、予定通り手術できることがわかったので、先生から手術に関する説明と、麻酔の方法やリスクについて話を聞いた。

 その話の前に、先生が私に何の仕事をしているのかと聞くので、スマホのアプリを開発している会社で、と、今の仕事についてざっと説明した。
 お客さんからの問い合わせの対応や製品のマニュアルを書いていると言うと、興味をそそられたようだった。
 それで、つい、80年代の初めにBASICを勉強したこと、パソコンインストラクターになったこと、マイコンベース銀座でIBMマルチステーション5550を教えたことなど、noteで書いたことを大まかに話した。
 先生は、「80年代初めだったら98か、いや、80か」などとやけに詳しく、私の話が面白いらしかった。

 こちらもいい気になって、ビジネススクールでパソコンインストラクターをしていたときに、親会社の経理部長から正社員にならないかと言われて、1度ボーナスをもらってみたかったので正社員になったこと、毎月営業会議に出なくてはならなかったり、女性の多い職場での人間関係に嫌気がさして3年で辞めたことを話した。

 それから自営業を始めたのだが、具体的に何をやっていたかや始めるまでの経緯も話した。このことはまだnoteには書いていない。

 先生が経理などの実務的なことはどうなのかと聞くので、私は数字の計算が苦手で、毎年確定申告の時期に書類を作るのが嫌でたまらなかったこと、そもそも商売の才能がなく、何か書いたり、調べたり、作ったり、自分1人でコツコツやるのが好きなのだと答えた。

 自営業時代は雇っていたスタッフやお客さんを誘ってピクニックに行ったり、クリスマスパーティーを開いたり、ケーキを焼いてお茶に出したりしたことを話した。
 私は料理が好きなので、お正月休みなどに親しくなったお客さんやスタッフを招んで、食事会をしたこともあった。
 お金は儲からなかったが、楽しいことがたくさんあった。

「ちょっと損しても、金は天下の回りものだから」
 そう言うと、先生は、
「そう! まさに金は天下の回りものなんだよ」
 と言って、自分のことも話し出した。

 曰く、お金が入ってきても必ず出す羽目になる。
 億という金があったのに、身内が家を抵当に入れて取られることになって、自分がお金を出して救った。
 普通なら絶望して首を括るぐらいの話だ。
 それに、妻とうまくいかなくて、妻は子供を連れて出て行った。
 養育費を請求してきたのだが、こっちが金を持っていると知っているので、弁護士が高い金を要求してきた。
 などなど。
 思わず、「まぁ、お気の毒に」と言ってしまった。

 先生は気を取り直して、私に
「じゃあ、これまでの人生は幸せだったんだ」
 と言った。
 そうかなぁ?
「でも、大変なこともありましたよ。頚椎の腫瘍や脳腫瘍を取ったし」
 先生には初診のときに、このことはかいつまんで話してあった。

 脳腫瘍を取って虎の門病院を退院した後、自営業が立ち行かなくなり、プロバイダーで接続サポートのバイトをしたことを話し始めたら、
「あ、次の患者さんが待っていた」
 と、先生はふと我に返って手元の書類を見て気が付いたらしく、私の話を遮った。
「土曜日だから患者さんがいないと思った。これ書くから、ちょっと待ってて」
 そう言って、私に説明するための「麻酔説明書」「予定している麻酔法」「感染症検査についての説明と同意書」「手術説明同意書」に何やら書き始めた。多分自分(担当医)の署名だと思う。

 その合間にも私に話し掛けるので、さっきの続きを話そうとした。
「私はそれまでiMacを使っていたんですけどね」
 と言いかけると、
「iMac!」
 と、目を輝かせた。
 が、またすぐ我に返って、
「あ、ちょっと待って、これ書いてるから」
 と、話を遮る。

 そんなことが2度あって、
「すみません。でも、先生が話し掛けるんだもん」
 と文句を言ったら、
「そうだよね」
 と、やっと私に話し掛けないで自分の作業に集中した。

 ようやく説明書やら同意書やらを私に見せて説明してくれたが、私は中断された話の続きがしたくてたまらない。
「続きを話したい」
 と言うと、
「入院したら毎日会えるよ。5分ぐらいだけど」
「それじゃ足りないわ。先生が暇な土曜日に話しに来るか」
 そう言いながら診察室のドアを開けて、挨拶して待合室に出ると、先生の患者が1人ソファに座って待っていた。
 時計を見たら、1時間ぐらい待たせてしまったようだった。
 手術とは関係ない自分の話を延々1時間もしていたのだ。

 いやぁ、面白い先生だ。
 最初に会ったときにフレンドリーな先生だとは思ったが、ほんとに楽しい人だ。
 首を括るほどの大損をして、奥さんにも逃げられ、大金を要求されているにしては明るい。

 家に帰ってから、先生に言われた「幸せな人生」について、つらつら考えた。
 私の人生は幸せだっただろうか?

 私は30歳でカナダ旅行をして、ツアーメンバーで趣味の会を作った。
 そこでの活動は楽しく、会を通して知り合った人たちと今でも交流が続いている。
 これまでの記事でも大勢登場しているが、みんな思いやりのある素敵な人たちで、私の人生を豊かにしてくれた。
 自営業時代もスタッフや親しくなったお客さんと遊びに出掛けたり、食事会をしたり、楽しいことが多かった。

 私はお金儲けには興味がない。
 それより、好きな仕事をすることと、友達と会ってお喋りしたり、一緒にご飯を食べたり、人を招んで手料理を振る舞ったりするのが好きで、そういうことができれば満足だ。
 高級レストランに行って贅沢したいとか、宝石や高価な服が欲しいとは思わない。
 生活するのに必要なお金があれば十分で、株をやろうなどと思ったこともない。

 ただ、今の会社は入社して17年間でたった1度しかお給料が上がらなかった。
 ボーナスもない。
 65歳からは1日6時間で週4日勤務にしてもらったから、それまでのお給料の2/3程度だ。

 私は会社勤めの期間が短いので、年金は大した額ではない。
 今はお給料だけで生活できるので、年金はそっくり貯金しているが、何年かして働けなくなったら、年金だけでは暮らせないので貯金を取り崩して生活することになる。
 自分がいくつまで生きるかわからないし、この先入院してお金が掛かることも考えられるから、ある程度余裕が欲しい。
 何億も何千万もは要らないが、安心するのに十分な蓄えは必要だ。
 かといって、株に手を出したり、積立NISAなどは考えるのも面倒だ。
 第一、NISAは高齢者向きではないと聞いたことがある。(興味がないからちゃんと聞いておかなかった)

 もちろん健康面でもいろいろ問題はあるが、今のところ自分1人でなんとか暮らしていられるので良しとしよう。

 今回、先生に言われて初めて考えてみたが、振り返ってみると、これまでの人生は幸せだったと言えるかな。

 それにしても、診察室で会った患者にこんなことを考えさせる先生は珍しいんじゃない?


※ヘッダーの写真はいつも座っているデスクから撮った。
 秋から春先にかけては日当たりが良過ぎて、朝はデスクの右手にある本箱に日が当たって本の背表紙が日焼けしてしまい、午後は自分の座っているところに日が当たって眩しいので、日除けカーテン代わりにテーブルクロスを吊るしている。
 このテーブルクロスは1978年に色と柄が気に入って買ったもの。当時は間仕切りの暖簾代わりに縦に吊るして使っていた。
 曇りや雨の日は右側に寄せてレースのカーテンを引くのだが、入院して来週の月曜日まで留守にするので、今朝はこのまま出掛けてきた。
 明日は手術。何事もなく、順調に終わって予定通り月曜日に退院できますように。
 
 


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