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高校時代の思い出(4) 恋模様

 私がサッカーを好きになったのは、日本代表が初めてワールドカップに出場した1998年のことで、それまではサッカーにまるで興味がなかった。
 だから、サッカー部のキャプテンだったTBくんと仲が良かったのは、サッカーとは全く関係がない。

 一度、サッカー部の対外試合を見に行ったことがある。
 2年生のとき、同じクラスだったサッちゃんとオミヤがサッカー部のマネージャーをしていたので、手伝いについて行った。
 レモンを何十個も買って輪切りにしたのをビニール袋に入れていった。
 試合の休憩時間に選手たちが戻ってきて、酸っぱいレモンを口に入れて疲れを癒すためだった。

 当時、女子の体育の授業にはサッカーがなかったので、サッカーというものを見るのは初めてだった。
 サッカーの試合を見た第一印象は、ボールが来るとみんなで追いかけ回して、相手のゴールの方で入り乱れてボールを奪い合っているのは見えるが、こちらのネットの方にいる選手たちはだらだらしながら眺めているだけで、なんて退屈な競技なんだろうと思った。
 男の子たちの話ではTBくんはサッカーがうまいということだったが、ポジションはどこなのかもわからないし、そもそもサッカーにはどんなポジションがあるのかも知らなかった。

 さて、そんなTBくんだが、意外にモテた。
 卒業した後の3月はみんなまだ進路先の学校や会社が始まる前だったので、学校から2駅離れたターミナル駅の近くの喫茶店にしょっちゅう集まっていた。
 私がアルバイトしていた本屋の入っているビルにも1つあり、一度覗いてみたことがあった。
 驚いたのは、男子がみんな喫煙していたことだ。
 高校生のときから隠れて吸っていた子もいたようだし、この頃に真似して吸い始めた子もいた。

 それはさておき、ここにサヨちゃんもいて、私の隣に座ってなんとなく喋っているうちに、TBくんを好きだという打ち明け話になった。
 サヨちゃんとは中学1年のときに同じクラスで、高2、高3でも同じクラスだったが、ちょっと気の強いところがあって私はあまり好きではなかった。
 向こうも私をあまり好きではなさそうだった。
 そのサヨちゃんが、TBくんへの想いを訴えて、私の肩に顔を埋めて泣き出した。
 なんと言って慰めていいかわからなかったが、サヨちゃんにそんな可愛いところがあったのは新鮮な驚きだった。

 トッちゃんもTBくんを好きで、そのことはサッちゃんもイリヤも知っていたと思う。
 ただ、TBくん本人はトッちゃんに思われているとは知らなかったかもしれない。
 私はサヨちゃんの気持ちもトッちゃんの気持ちも知っていたが、わざわざTBくんに伝えたりはしなかった。

 卒業後の3月に、TBくんとFMくんと、中2、中3のとき同じクラスだった親友のAさんと4人で、駒沢のオリンピック公園へ遊びに行った。
 Aさんとは中学卒業後もずっとお付き合いが続き、私の家に遊びにきたことも何度もある。

 Aさんは高校受験に失敗して、普通校へは行かずに美容師の専門学校へ行って、この頃は美容師の見習いでどこかの美容院に住み込みで働いていた。
 パーマ液で手が荒れてしまい、可哀想な手になっていた。

 その後テレビ局にヘアメイク担当として務めるようになり、タレントや女優と仲良くなって、和歌子さん(酒井和歌子)とハワイに行ったとか、ちあきさん(ちあきなおみ)と食事に行ったなどと言っていた。
 知り合いにサインをもらってと頼まれることも多いと言っていたが、私はタレントや歌手には興味がないので頼まなかった。

いかにも女好きといった感じでAさんにちょっかいを出しているTBくん
仲良くソフトクリームを食べているFMくんと私
FMくんだとこうで(これが普通)
TBくんだとこうなる

 高校時代、日本で初めての超高層ビルである霞が関ビルが話題になっていたが、36階建てで、35階にはレストランがあった。
 卒業後、TBくんはそのレストランでコーヒーを飲んできたと言っていた。
 コーヒーが1杯500円もしたそうだ。
 その辺の喫茶店ではコーヒーが100円ぐらいだったから、500円とは破格の値段だった。

 TBくんは本当は大学に進学したかったが、経済的な事情で果たせなかった。
 それで、4月になって仲間が大学へ行き始めると、1人で遠くへ旅に出た。
 どこか南の方と言っていたが、旅先で公衆電話から私に電話を掛けてきた。
 話しながら、「10円玉がどんどん落ちていく」と言っていた。
 当時はテレフォンカードなんてものはなく、公衆電話に10円玉を入れて掛けるしかなかったので、遠くに掛けたい人は10円玉をたくさん用意しておかなくてはならなかった。

 その前だったか後だったか、郵便書簡で手紙をくれた。
 小豆島にいて、これから四国に行くと書いてあった。
 おかしいことが郵便書簡の裏表にぎっしり書いてあり、笑いながら読んだ。

 TBくんとはその後も会ったが1度か2度で、いつの間にか付き合いがなくなった。
 高校時代の友達で卒業後も付き合いが続いていたのはイリヤとYくんだけだった。
 Yくんとは母が亡くなる頃まで会っていた。

 高校時代にカップルになって、卒業後に結婚する人たちもいた。
 私と同じクラスのアキラくんは、私と中学が一緒だったTさんと付き合っていたが、卒業後に結婚した(はずだ)。
 彼は背が高くハンサムだが少し気の弱いところがあるので、しっかり者のTさんとはうまくいくだろうと思った。
 Tさんも美人なので、この2人は美男美女のカップルだった。

 TBくんに片想いしていたサヨちゃんは、同じクラスのKKくんと結婚した。
 KKくんは見た目はキザっぽいが、話してみるとそうでもなく、感じ良かった。

 卒業式の後でうちに来たTNくんはサッちゃんと結婚した。
 2人は高校時代には付き合っていなかったはずだが、いつからそういう仲になったのかまったく知らなかった。

 残念ながら片想いで終わったのは私とYくん。
 Yくんはサムが好きだったが、振られてしまった。
 私はNKくんが好きだったが、彼は1年生のチエコが好きだった。

 チエコは私と同じクラスのタツオくんの彼女だった。
 彼女は1年の途中で転校してきた子で、背が高く、多分170センチぐらいあった。
 美人ではないが人目を引く子で、細くてすんなりしていて、自由が丘モンブランの包装紙に描かれた東郷青児の絵の女性のようだった。
 そうか、NKくんはああいう子が好みなのか、と思った。

体育祭で、春組の世界の結婚式。
右上の花嫁がチエコ。下の左端の花嫁はタツオくん。
三輪車を漕いでいるのはサッちゃん。その花嫁はオミヤ。



 ある日、購買部に行くと、何か買いに来ていたチエコがいたので話し掛けてみた。
 感じ良い子で、私がタツオくんと同じクラスだということから、話をするうちに仲良くなった。

 タツオくんはラグビー部で、いつも休み時間に教室でラグビーボールに唾をつけて磨いていた。
 私が見ていると、こっちを見てニヤッと笑う。
 私が知っているのはそれぐらいだった。
 彼は後にロックバンドを結成してレコードも何枚か出している。
 ラジオの深夜放送のパーソナリティを勤めたこともあるそうだ。
 知っていたら聞いてみたかった。

 卒業して数年後、駅のホームでタツオくんにばったり会ったことがある。
 私がギルバート・オサリバンの “Alone Again” が好きだと言うと、タツオくんは、正確にどういう言い方をしたか覚えていないが、音楽やファッションも含めてああいうのが好きなんだと言っていた。
 彼のようなアーティストを目指しているような口振りだった。


「タツオさんは私と一緒にいても他の女の子を見るの。私だって女の子なのに」
 チエコはそんな浮気性のタツオくんのことが悩みのタネらしかった。

 チエコが同級生2人と一緒に、うちに遊びにきたことがあった。
 ルーフバルコニーでみんなで撮った写真が何枚もあるが、そのうちの1枚はチエコが私にぴったり寄り添い、頭を私の頭に付けて「お姉さま」と甘えているようなショットで、NKくんに見せたら羨ましがるだろうなと思った。

 チエコはリボンフラワーをやっていて、私へのお土産に自分で作ったリボンフラワーの小さいブーケを持ってきてくれた。
 赤とオレンジのチューリップのような花だった。
 それを見て、私もリボンフラワーを作ってみたくなり、材料と本を買って、好きな花を作った。
 作った花は友人たちにプレゼントした。

 チエコとはどれぐらいの間付き合っていただろう。
 ほんの数ヶ月間のことだったような気がする。
 結局、チエコはタツオくんとは別れて、1つ年上のTJくんと付き合っていると聞いた。
 TJくんは私の1年後輩で、生徒会役員をしていたので知っていた。
 地味だが誠実な印象で、チエコにとって良かったと思った。

 話は前後するが、NKくんにはバレンタインデーに、デパートで大きなハート型のチョコレートに名前を入れてもらって贈ったが、色良い返事はなかった。
 そのくせ、卒業式の後でうちに来て泊まっていったり、私の方もみんなで雑魚寝なんかして、呑気なものだった。
 4月になると進路が別々で会う機会もなくなったし、他に気になる人が出てきたりして、NKくんのことはいつの間にか忘れてしまった。


※ヘッダーの写真は誰が撮ったのか覚えていないが、遊びに来たチエコたちと我が家のルーフバルコニーで。
 左端の背の高い子がチエコ、右から2人目が私。

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