パソコン部門の責任者に
ビジネススクールで教えていた頃、スクールを運営している会社の経理部長がIBMのマルチプランを習いにきた。
最初はひと通り基本的な使い方を教えたが、その後は自分のしたいことがどうやったらできるかを聞きにきた。
講習の時間外に来て、やり方を教わると帰っていく。
そんなことが何度かあった。
スクールに勤め始めて3年ほど経ったとき、校長が不祥事を起こしてスクールを辞めた。
このスクールにはパソコンコースの他に、英文タイプコースと外国人向けの日本語コースがあった。
校長が辞めてから、校長が力を入れていた日本語コースは廃止して、英会話コースができた。
英語関係のコースはアメリカに留学経験のある社員で、校長の補佐をしていた女性が責任者になった。
彼女も校長同様パソコンには疎かったので、引き続き私がパソコンコースを取り仕切っていた。
そこで、経理部長が私に、正社員にならないかと話を持ってきた。
当時、私の時給は2,550円で、パートタイマーの時給としてはかなり高額だった。
経理部長が言うには、正社員になったら最初の3年間は給与が下がるが、4年目からは今より良くなるとのことだった。
私はそれまで会社勤務というものをしたことがなく、学習塾もパソコンインストラクターも時給でボーナスはないから、会社勤務の友人たちがボーナスがいくら出たと話すのが羨ましかった。
一度ボーナスをもらってみたいとずっと思っていた。
そこで、部長の申し出を引き受けることにした。
毎日フルタイムの勤務になるので、学習塾の仕事は辞めた。
仕事の内容はそれまでとほとんど同じだが、生徒募集やインストラクターの募集と面接、採用も私の仕事になった。
それに加えて、月に一度の、本社や各拠点の責任者が集まる営業会議にも出なければならなくなった。
スクールの英語部門とパソコン部門がそれぞれ月の売り上げを報告する。
他の拠点の売り上げと比べて、パソコン部門の売り上げは、マシンの台数が少なく生徒の受講料が少ないので大したことはない。
しかも、売れ筋のソフトを導入しなくてはならないから経費はかかる。
ソフトだけじゃない。
パソコンもマッキントッシュを入れてグラフィックコースを作りたいと思っていたので、その費用もかかるし、グラフィックならカラープリンターも入れたい、などと設備投資にお金がかかるので、毎月赤字だった。
生徒募集は創刊されて間もない「ケイコとマナブ」に募集記事を載せるため、雑誌の営業の人が打ち合わせに来た。その対応も私の仕事だった。
私には自分のデスクが与えられたが、どっちみちパソコンの前で操作しながらマニュアルを書くことが多かったので、デスクに座っていることはほとんどなかった。
電話応対と小口現金の管理をする部下もついた。
まだ20代半ばで、他社で営業をしていた人だが、よく気の付く仕事のできる女性だった。
彼女は毎年私の誕生日には豪華な花束を贈ってくれたが、私が会社を辞めてからも日比谷花壇に事細かに指示して、私の好きな青いデルフィニウムとくすんだピンクのトルコ桔梗の花束を贈ってくれた。
お礼も兼ねて食事に誘い、南青山の以前から行きつけの店で、おいしいお料理を食べ、冷たいビールを飲みながらお喋りを楽しんだ。
インストラクターたちとも仲が良く、1人は結婚したときに友人たちを集めて結婚披露パーティーをしたのだが、私にも声を掛けてくれたのでお祝いに行った。
パソコンを習いに来ていた人で、私より2つ3つ年上の女性とも仲良くなった。
彼女はときどきランチしに来てくれたので、お昼休みに一緒に外に食べに出掛けた。
彼女とはその後もお付き合いが続き、今も年に一度程度は会ってランチしている。
コロナでしばらく会えなかったが、去年の秋は久しぶりに会って、日本橋へ穴子を食べに行った。
こうして楽しいこともあったが、仕事自体は自分の好きではないこともしなくてはならないのが気持ちの負担になっていた。
私は自分1人でコツコツ何かを書いたり作ったりするのが好きで、お金の計算や、営業会議に出るのは好きではなかった。
200人程度の規模の会社だったが、社内の人間関係もいろいろと面倒で、会社組織に馴染むことができなかった。
そんなわけで、3年待てば4年目からは良くなると言われたが、お給料が良くなる前に3年で会社を辞めた。
私の後任にはインストラクターの1人がなった。
彼女は頭が良く、私が手一杯のときにマニュアル書きを頼んだことがあるが、マニアックなマニュアルを書く人だった。
こんなこともできるという例を作ったのだろうが、そんなことを業務でする人がどれぐらいいるだろうか、と思うような難しい例だった。
彼女はその後順調に昇格していったらしい。
私たちはたまに連絡を取り合っていて、私が友人たちを集めてクリスマスパーティーをしたときは、年下の彼氏を連れて来てくれた。
これを書きながら思い出したのだが、大宮にソニックシティというのができて、そこにパソコン教室も設置されることになった。
そこで使う講習用マニュアルとして、私の作ったマニュアルを卸すことになった。
ついでに教室管理の仕方を教えにきて欲しいという依頼があったので、大宮まで出掛けて行った。
教室にはこれから使う予定のマシンが並んでいて、若い男性2人がパソコンを操作していたのだが、私が到着して担当者と話しているとき、1人が飲み物をキーボードにこぼしてしまった。
彼は大騒ぎして、キーボードの文字盤にかぶさっているカバー(枠)を外し、キーの間にこぼれた缶コーヒーだかジュースだか甘い飲み物を拭き取ろうとした。
カバーを外してむき出しになったキーボードのキーの間には、タバコの灰がたくさん落ちていた。
パソコンを使いながらタバコを吸う人がいるからだろう。
そんなことをしていると、ゴミが溜まってキーの接触が悪くなり、打っても画面に出ない文字が出てくるのではないかと思った。
私の教室ではむろん禁煙だが、飲み物にしろ食べ物にしろパソコンのところへは持ち込み禁止にしており、キーボードを打ちながら飲食はさせなかった。
休憩用の小さいテーブルと椅子が置いてあるので、休憩時間はそこで飲食することができた。
講習を受けた人には、1時間ずつ切り離して使える10時間分の練習券が付いていたので、好きなときに予約してパソコンを使いにきた。
そういう人たちも練習の前や後に休憩コーナーを利用していた。
私も一緒にお茶しながらお喋りすることがあり、生徒として習いにきて仲良くなった人とも、休憩コーナーでお喋りしているうちに仲良くなったのかもしれない。
この教室はアットホームな雰囲気で良かったと思う。
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