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入院中のこと

 退院して家に帰ってから、少し寝ようと思って布団に横になったが、5日間寝ていないので布団が冷え切っていたのと、季節が一気に進んでいたのとで寒かった。
 1時間ぐらいして起きて、持ち帰った荷物や書類を整理した。
 パジャマやタオルなどは段ボールに詰めて、宅急便の集荷があるまで病院の総務課に預けてきたが、iPadやキーボードやケーブル類などすぐに使うものはリュックに入れて背負ってきた。

 夕飯は冷凍しておいた食パンにパルミジャーノを乗せてチーズトーストにした。
 それと、冷凍コロッケを電子レンジで解凍してからオーブントースターで両面焼いて、外側がカリッと揚げたてのようになったのと、バナナとルイボスティーとトマトジュース。

 夕食後は何もせず、すぐにシャワーを浴びて5日ぶりにシャンプーして、9時には床に就いた。
 実は、病室がうるさくて3日間ほとんど眠れなかった。
 血圧は上がるし頭痛はするし、ひどい状態で帰ってきたのだった。
 退院した日は特に高くて、朝から3回も血圧を計ってもらったが161もあり、熱も37度あったので、ひょっとして何かに感染したのではないかと心配だった。
 家に帰ってから計ったらまだ152あったし、頭もずっと痛かった。

 一晩ぐっすり寝たら血圧も下がり、頭痛も取れていた。
 12日(火)はいつも通り仕事で、未読メールが77件も溜まっていた。
 午後からはアプリのリリース判定会議があったが、私が退院するまで待っていたらしかった。
 会議でリリースが承認されたのでお客さん全社にメーリングリストでリリース案内をし、個別にサーバ側の設定を変更するお知らせを出したり、作業日時を連絡したりと、することがたくさんあって忙しかった。

 その合間に入院中の荷物が着払いで届いた。
 それを片付けたり、洗濯したり、冷蔵庫の中が空っぽなのでスーパーに買い物に行くのは、休みの13日(水)にすることにした。
 退院してからも結構忙しい。

 夕方近く、ちょうど仕事が立て込んでいるときに、上の階のMさんがやってきた。
 入院することはMさんにだけ言っておいた。
「仕事中で忙しいのよ」
 ドアを開けてそう言うと、「仕事しているの?」とびっくりしていた。
 退院した翌日はおとなしく寝ているものと思ったらしい。
 
 Mさんは退院祝いと言ってきれいな花束を持ってきてくれたのだった。
 ヘッダーの写真がその花で、私の好きな濃いピンクのガーベラと、黄色いガーベラと、白いスターチスだった。
 お礼を言って受け取り、すぐに仕事に戻ったが、仕事が終わってから電話して改めてお礼を言った。
「この色、大好きなの」
 と言うと、
「元気が出る色だから。新しくできた小さなスーパーマーケットがあるでしょう? あの前に花屋があるの。入ってみたら、とても感じ良くて、色々アレンジして見せてくれて」
 という返事だった。

 私は家の中に花を欠かさない。
 毎週スーパーで花を買ってくるのだが、スーパーの花は当たり外れがあって日持ちしたりしなかったり。
 洋花に仏花のような小菊が混ざっていたり、ガーベラは花の周りに透明な傘が付いて花が開くのを防いでいるので、家に持ち帰って傘を切ると一気に開いてしまって、日持ちしないことが多い。
 Mさんのくれた花は花屋で買っただけのことはあって、新鮮で長持ちしそうだ。

 さて、入院中のことをざっと書いておこう。

 入院することが決まったとき、昔、九段坂病院や虎の門病院に入院していたときのことを思い出して、同室の患者さんたちとの交流が楽しみだった。
 たった4泊5日の入院だから、あの頃ほどではないだろうが、少しはお喋りできるかと思っていた。

 今回も九段坂病院と同じ6人部屋で、私のベッドは入って右の手前だった。
 ところが、全員ベッドのまわりにカーテンを引いていて、どんな人が入っているのかわからない。
 後で聞いたら、コロナや感染症の感染防止にカーテンを引いておかなくてはならないということだった。

 それはいいとして、自分の部屋も隣の部屋も見たところ70歳以上の高齢者ばかりで、ベッドから起きられない人も何人もいるらしかった。
 これまた後で聞いた話では、90代も多いとのこと。

 私のベッドの向かいの人も90代で、高齢者施設からこの病院に入ってきたそうだ。
 この人は見た目が若くて目の輝きも生き生きしているので、てっきり私と同年輩だと思った。
 1日中本を読んでいるか、クロスワードパズルをやってる。
 頭を使っているから若いのだろう。
 1人で歩いてはいけないと言われているのに、ベッドから降りて歩いて転んでしまい、看護師さんに「1人で歩いちゃダメだからね」と何度も言われていた。
 それなのに、こっそり窓際のベッドの人のところに話しに行っていた。
 私のところへも話しに来た。
 
 窓際のベッドの人はスタスタ歩けるので、日に何度も読書家の90代の人のところへ話しに行っていた。
 私にも話し掛けてきたが、耳が遠いらしく、顔を近付けて話すのが気になった。
 コロナに感染はしていないだろうが、別の何かに感染していたら嫌だと思った。

 向かいの真ん中のベッドの人はおそらく80代ではないかと思うが、片目が見えず、肺機能に問題があるようで、昼夜問わず喉に痰が絡まったようにゼロゼロやっていた。
 ナースコールを押さずに「看護婦さーん」と呼んでいる。
 私も気管支拡張症で痰が絡まると苦しいので、看護師さんに「Sさんが呼んでいる」と伝えに行き、「痰が絡まって苦しそう」と言った。
 看護師さんが見に行ったら痰は絡まっていなかったそうだが、夜中でもそうやって騒いでいて迷惑なので、どこか個室に移されたようだった。

 私のベッドの隣りにいた人は私の手術の日に退院していった。
 1度も顔を合わせたことがないので、歳がいくつぐらいなのか、どんな人なのかわからずじまいだった。

 その隣の窓際の人はキネさんという人で、用があるときは点滴スタンドを転がしながら歩いているが、柔和な顔で感じの良い人だった。

 隣の部屋には介護が必要な人が多いらしく、食事時は看護師さんが付きっきりで食べさせているらしかった。
「もう食べたくないの? こっちはどう? いちごのムース食べてみる?」
 などという声が聞こえてくる。

 そうかと思うと、甲高い声で1から100まで数字を数えて、100になるとまた1から数え始めるお婆さんがいた。
 エンドレスで30分以上続いていた。

 看護師さんたちが夕食の配膳をしているとき、
「看護婦さーん、看護婦さーん」
 としきりに呼ぶ声がする。
 看護師さんが、
「看護師さん、今忙しいから」
 と返事だけして、見にいってあげないのが気になった。
 後でその看護師さんに聞いてみたら、「お父さんがいない」と言うのだそうだ。
 それは看護師さんにはどうすることもできない。

 この病院は病院と介護施設を兼ねているような状態で、看護師さんたちも忙しくて大変だと思った。

 私が手術した日の夜、キネさんが夜中に「看護婦さーん、点滴が漏れていないか見てくださーい」と言い出した。
 ナースコールしないで何度も呼んでいる。
「看護婦さーん、点滴が漏れて布団が濡れているみたい。見てくださーい」
「点滴が止まっている。看護婦さーん」

 あんまりいつまでも言っているので、ベッドに寝たまま声を掛けた。
「キネさん、点滴が止まったら血液が逆流するから、点滴の管が赤くなっているんじゃない?」
「高くて見えないの。高いところにあるから」
「高いところじゃなくて、キネさんの腕を見るのよ」
「見えないの。高いから」
「自分の腕を見て。腕に点滴の管が付いているでしょ?」
「見えない」
「見えないの? 電気つけたら? 枕元にあるでしょ? 紐を引っ張れば電気つくから」

 キネさんは電気をつけたが、自分の腕は見ないで、また看護師さんを呼び始めた。
 こりゃどうしようもない。
 きっと点滴は止まってもいないし、漏れてもいないのだ。
 夜勤は人数が少ないのに、そんなことで看護師さんを呼んだら悪い。
「キネさん、看護師さんに見せにいったら? キネさん歩けるでしょう?」
 そう言うと、キネさんは起きて点滴スタンドを転がして歩いて行こうとした。
「今、ここを開いてみたんだけど……」
 そう呟いたのでギョッとした。
「キネさん、自分でいじっちゃダメよ。看護師さんに見てもらって」
 キネさんは私の声が聞こえたのかどうか、点滴スタンドを転がしながら出て行った。
 ナースステーションに行く前にトイレに寄っていくらしいのがわかった。

 キネさんはナースステーションに行って看護師さんが見つからなかったのか、今度は別のことを言い出した。
「私、どうして、ここにいるの? ここで何をしているの? わからないの。ねぇ、誰か教えて。私、どうしてここにいるの? どうやって来たの? 全然覚えていない。誰か教えて。お願い。私どうしてここにいるの?」
 キネさんは繰り返し、繰り返し、同じことを訴えた。

 そのうち、看護師さんに会えたらしく、看護師さんがキネさんに返事する声も聞こえてきた。
「キネさんはね、お腹が痛くて、ここに来たんだよ〜」
 まるで子供に言って聞かせるように、優しい調子で言っている。
「どうやって、ここに来たの?」
「救急車で来たんだよ〜」
「どうやって、救急車、誰が? 誰が呼んだの?」
「キネさんが自分で呼んだんだと思うよ」
「ここは病院? 私、この病院知らない。私、なんでここにいるの?」
「キネさんはね、お腹が痛くて来たんだよ〜」

 同じことを何度も聞くキネさんに、同じ調子で同じ返事をする看護師さん。
 うるさくて眠れないのは確かだが、優しいなー、偉いなーと思って聞いていた。
 私だったら癇癪を起こすところだ。

 キネさんは夜になって急に認知症になったのだと思っていたが、夜間せん妄というものだそうだ。
 昼間会ったときは正常で、朝になったらまた普通の人に戻ったようだった。ただし、1週間入院していたそうだがその記憶が全く欠けていた。
 そして、この夜間せん妄のときに自分で点滴の針を抜いてしまい、トイレを血だらけにしたそうだ。
 自分のベッドのところで抜いて、血だらけの手でベッド周りのカーテンをたぐりながら歩いたので、3台のベッドのカーテンに血の指の跡がついてしまった。
 昼間、作業の人が来て3枚ともカーテンを取り替えていた。

 翌日も昼間、点滴が止まっていると看護師さんを呼んでいたが、「止まっていないから大丈夫」と言われて、それでもまた時間が経つと点滴が止まっていると言い出した。
 また始まったと思って聞いていたが、夜は静かに寝ていたので、睡眠薬でも入れられたのかと思った。
 看護師さんによれば、睡眠薬は投与しなかったそうだ。
 この晩は静かだったが私は眠れなかった。

 最後の晩は、隣のベッドに新規に入ってきた患者が、夜中に何度も起きて床頭台の引き出しや戸棚を開けたり閉めたり、カップだかなんだか硬いものを硬い台の上に置く音が、ちょうど私の頭の上でするので、うるさくて眠れなかった。

 そんなわけで3日間というものろくに眠れなかったせいで頭痛がし、血圧が上がってしまったのだった。

 退院するときにキネさんにも挨拶に行った。
 元の正気なキネさんに戻っていたが、また私にも「ここに来たことを全然覚えていない」と言った。
 繰り返し同じことを言い始めたので、
「もう時間だから行くわ。キネさんも早く退院できるといいわね。お大事にね」
 と言って帰ってきた。

 いやはや、とんだ入院生活だった。


 仕事が溜まっていて忙しいのと疲れるのとで、いつもスキしてくださる方の記事を読む時間が取れそうにありません。
 入院する前に下書きに入れておいた記事がいくつかあるので、それを少し手直ししてアップする予定です。
 よろしくお願いします。
 
 

 

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