今は亡き私のおじいちゃんとおばあちゃんへ
私の母方の祖父は
大正9年生まれのおじいちゃん、昭和4年生まれのおばあちゃん
でした。
残念ながらおじいちゃんは私が中1の時に、おばあちゃんは大学2年の時に天へと旅立ちました。
今、生きていたらおじいちゃんは101歳でおばあちゃんは94歳だったのかなと思うとなんだかその歳になっている二人を見たかったなあとちょっと寂しく思います。
今なら生きててもおかしくない時代ですよね、だからなおさらに。
私がおじいちゃんから学んだこと
おじいちゃんは戦争経験者でした。当時の支那へ兵隊さんとして赴いて戦っていたそうです。小学生だった私にその時の話をよくしてくれました。
多分陸で戦ってた陸軍兵士だったのだと思います。
おじいちゃんとおばあちゃんちの天袋を探せば、おじいちゃんが兵隊さんだった頃の写真が何枚も出てきます。
おじいちゃんは背が小さくて、でも好男子でした。
おじいちゃんは特に私が幼児だった頃に、仕事で忙しく出張でいつもいなかった父の代わりに運動会も、学芸会も参加してくれて土日のほとんどは私を大きな公園に連れていき、アスレチックで遊んでくれました。
おじいちゃんはとっても字がうまくて、お仕事も真面目にやっていたしっかりもので何かで都知事から表彰状をもらってました。
そんなおじいちゃんから学んだのは「命の大切さ」でした。
戦争体験を私に色々話すおじいちゃんは人の命を奪うことの残酷さについてよく話してました。だから今も私が歩道の内側を律儀に歩くのもおじいちゃんから散々、「車に気をつけて!歩道の白い線の内側を歩きなさい」という教えを守っているからだと思います。
そんな命の大切さをいつも教えてくれたおじいちゃんがまさか暑い夏の日に電車で心筋梗塞になり呆気なく旅立って行ってしまったことを私は今もまだ昨日のように覚えています。
私は当時、中学1年で夏休みに部活の練習で学校へ行ってました。多分その日は終わるのが早めで透析で通院しているおばあちゃんの病院へと部活帰りに寄って、母の車の迎えを待っていました。
多分、おじいちゃんとおばあちゃんの家についてすぐ(当時は携帯電話はまだ私は持っていなかった)家電が鳴って、母がとってなんだかすごく焦っていたのを覚えています。母の運転で病院へ駆けつけた時はおじいちゃんはもう旅立っていて、泣き崩れてしまっているおばあちゃんの手を握っていた13歳の私は「おじいちゃん、ちょっと早すぎるんじゃないかな、命は大切やってずっと言うてたよ」と心の中でおじいちゃんの突発的な死を悲しむことしかできませんでした。
私がおばあちゃんから学んだこと
そんなふうにして先に旅立ってしまったおばあちゃんは毎日寂しそうにひとりでTVを見ていました。
おじいちゃんがいる頃は二人はよく国会中継を見ながらやんややんやTVに向かって声を上げていたし(笑)
相撲の時期になると応援している力士の素晴らしいところ、だめだったところなどをああだのこうだのと二人で喧嘩しながら話してました(笑)
とにかくなんだか二人ともよく喋るおじいちゃんとおばあちゃんで賑やかったのに、おじいちゃんがいなくなるとあの日のことが嘘のように静かでした。
おばあちゃんは人工透析をしていて、週3,4日定期的に透析クリニックへ通っていました。正直、おばあちゃんの方がおじいちゃんよりも年齢は若かったけど、昔から体の弱いおばあちゃんだったので、病院からもいつ亡くなってもおかしくないのだということを私たち家族はずっと前から聞かされていました。
そんなおばあちゃんから私が学んだのは「人を愛することの美しさ」です
おじいちゃんが亡くなるまでは気づかなかったけど、おばあちゃんはおじいちゃんのことが大好きでした。おじいちゃんが亡くなってからおばあちゃんは毎日おじいちゃんのことを「アンナ、お父さん(おじいちゃん)はこうだったのよ」と思い出話とご飯を食べていれば「これはお父さんが大好きだったね」と。
亡くなって数年しても毎日のように登場するおじいちゃんでした。
私も年頃(高校2年くらい)になった時、おばあちゃんが鏡台の中から大切な結婚指輪を見せてくれました。
おばあちゃんは透析をしてて、体がしょっちゅう浮腫むので結婚指輪を外してて鏡台の引き出しに大切にしまっていたようです。
金色のシンプルな指輪でした。それを私に見せておじいちゃんがくれたときとっても嬉しかったんだという話を聞きました。おじいちゃんは気の利く人ではなかったらしいけど、金の指輪と花束をくれて、そして当時は金の指輪がぶかぶかだったのに、今はもうキツくて入らないわねと笑ってました。
おばあちゃんはおじいちゃんの形が見えなくなっても、おじいちゃんを毎日思って過ごしてきたのだということをその時私はハッと気がつかされました。
その時に人を愛することの美しさを私は教えてもらった気がしました。
どんなことがあっても、おばあちゃんはずっと私が知らない頃からおじいちゃんを愛し、おじいちゃんとの思い出を大切に77歳という最期の日まで生きていました。
77という数字
おじいちゃんとおばあちゃんはなぜか、二人ともまるで合わせたかのように77歳で亡くなりました。
「77」ラッキーセブンが二つも重なって何てラッキーな数字。
おばあちゃんが亡くなった時私はそう思いました。
おじいちゃんはきっとおばあちゃんを77歳まで生きさせたかったのでしょう。
おばあちゃんは亡くなるまでの数年間、何度も危ない時期がありました。それでも77歳まで生きたというのはおじいちゃんが自分と同じ量を生きて欲しいと願うプレゼントだったのでしょうか。
二人が生きてきた77年間という歴史を、私がそれを超せるように、
おじいちゃんから教えてもらった「命の大切さ」を日々感じ、おばあちゃんが教えてくれた「愛することの美しさ」を今の自分の家族や両親へと愛を捧げ、私は今日も元気に生きていくね!