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上司のお弁当を見て思ったこと

人にとても恵まれた環境で働いている。

その中でも、1番と言っていいくらい慕う上司がいる。

一緒にご飯休憩をとることは無いけれど、時々お弁当を持ってふらりと現れる。

その人が持っているお弁当箱はいわゆる曲げわっぱ。その中に美味しそうなおかずがこれでもかと詰め込まれている。

ちなみにお米は入っていない。本人曰く、これが体型キープの秘訣なんだとか。

なにがすごいって、たくさんの美味しそうな手作りおかずが、ぎっしり。

お米のスペースなんて無いに等しい。

なんだかそのお弁当を改めて見せてもらって、すごく考えさせられた。


お弁当を見てから。

なんだかその日見たお弁当が、頭から離れなくなった。

なんだろう。

わたしはきっと、こういうお弁当を作れる人になりたいのだ。

お料理上手で、バランス良く食べていて、なんだか生活が、人生が整っているように見える。

そのお弁当を見るだけで、きっとこの人の家族は幸せなんだろうなと連想させられる。

なんだか、その人の人柄が表れているように感じられる。

でも、私には出来ない。

出来ないと決めつけるのは良くないとしたら、現状として出来ていない。

その原因を考えてみた。


まず学生時代のダイエット依存症の影響から、手作りのものはカロリーがわからない、怖いと感じる。昔から几帳面な性格で、やると決めたらとことん継続できる。だから、カロリー計算はむしろやり始めると止まらなくて、、ダイエットを辞めた今でも、この癖は抜けない。無意識に頭で計算してしまうのだ。

次に、これもダイエットの影響だろうけど、調味料や油を使用する工程を見るのが苦手だ。よっぽど身体に悪そうな、油や調味料が使われたコンビニご飯、時にはファストフードだって食べれるのに、手作りのものはなんだか怖い。お菓子作りをすると、こんなに砂糖やバター使ってるんだ!と改めて知らされるのと同じ感覚で、調味料や油が、食材に染み込んでいく過程を見ていると、何だか食べるのが躊躇われる。

あとは、お弁当を作ろう!と意気込むと、どうしても美味しさより、見た目や彩りばかりを気にしてしまう。人に見られてどうかな、とか。そうやって出来たお弁当は、あまり私の心を満たしてはくれない。そうこうしているうちに、社会人生活でのお弁当作りの手が止まってしまった。


いまのお弁当生活は?

現状として、まったくお弁当を作っていない訳ではない。やっぱり毎日コンビニご飯は嫌だし、カロリー塩分過多なファストフードも避けたい。だから私が食べているのはいつも人には見せたくないような、地味なお弁当。それにスープや、納豆など。無理して見た目だけを気にしたお弁当を作っていた頃よりも、いまのほうが好きだ。楽だ。でも、やっぱり。やっぱり少し、後ろめたさがある。これじゃない、と思う気持ちがある。


これからについて

これからについて、だなんて大袈裟かもしれないけれど、これからの何かが変わるきっかけになるかもしれない。

たかがお弁当、されどお弁当。

お弁当作りを通して、料理好きな、料理上手なひとになりたい。

もともと食べることは好きだし、こだわりだってある方だ。

料理って向き不向きとか、センスもあるよなって思うこともあるけど、ダイエット依存症だった過去のトラウマに囚われることもあるかもしれないけど、自分のことを否定的に捉え過ぎず、なりたい自分を目指してみよう。

いままで何度も、料理をする、っていう目標を立ててきた気がする。

人からどう思われるか、ではなく、自分がどうありたいか、が大事だとよく聞くけれど、”人からこう思われるような人になりたい”というのが原動力でもいいんじゃないかな。それがきっかけで何かがもっと変わるかもしれない。

誰よりも忙しいはずなのに、手作りの美味しそうなお弁当をいつも持っている、あの人みたいな人になりたい。

いままで何度掲げたか分からないけど、いわゆるお料理上手を目標に、また頑張ってみよう。





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