幼少期④
私が20代の頃、実家でたまたま幼稚園の時の連絡帳を見つけた。
懐かしいなと思い開いてみる。
しかし、親と先生のやりとりを見て、私は当時ショックを受けた。
父が言っていたことを、母が連絡帳にて代弁していた。
「エナツは友達を誘ったり、声を掛けるわけでもなく、ただ黙ってついて行っている。友達と一緒にいても話しかけている様子もない。
家で幼稚園は楽しいかと聞くと、楽しいと答えてはいるが・・・」
幼少期①でも書いた通り、おとなしい性格だと言われていた。
何がショックかって、これまでの人生、ほぼそんな感じだったからだ。
小学校では、仲間外れは嫌だったし、周りからそう思われることがとても嫌だった。
でも自分が何か声かけて、変だと思われたらどうしようと思うと、ただ黙っていつものメンバーの後をついていくしかなかった。
そのいつものメンバーも、当時は辛いものだった。
それこそ、同じ地区で、学校の行き帰りも一緒、遊ぶのも一緒、地区の行事も一緒。
そこで仲間外れにされれば生きていけない。
その地区の母同士は仲良くしているから、自分も仲良くしなきゃ、優しくしなきゃ、じゃないと母に怒られる。
(前回登場した「Y」は、小学校は一緒だったけど、地区は違いました。訂正します)
何度も言うが、本当に狭い世界しか知らなかった。
話を少し戻すが、父曰く私は幼稚園自体は楽しいと言っていたらしい。
確かに、幼稚園に行くこと自体は苦痛に感じたことがない。
楽しい遊具やおもちゃはあるし、給食はおいしいし。
時間も確か、9時から14時くらいまでで、そのあとは母と2歳下の妹と過ごしていた。
母がそばで内職をしていたり、主婦向けの雑誌やドラマを見ているのを私も眺める、
夕方は教育テレビを見ながら、妹と一緒にリボン体操をする。
幼少期が辛かったから、今がある。と思っていたけれど、
平凡で楽しい思い出もたくさんあった。
たとえ友達とうまく付き合えなくても。
ただそんな自分が昔は大嫌いだった。
これ以上深掘りすると、ただの被害者になってしまうだろう。
でも、、書けるうちに書かないと後悔するかもしれない。
そして、もう一つ、幼稚園が楽しかった理由は、
私の母同士が親友で、その親友の息子「ミッキー」の存在があったからかもしれない。
つづく。
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