エナツ

エナツです。 技能職のパート勤務で抑うつ状態。 夫と二歳の娘と田舎で暮らしています。 ただの自分語りの日記です。よろしくお願いします。

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エナツです。 技能職のパート勤務で抑うつ状態。 夫と二歳の娘と田舎で暮らしています。 ただの自分語りの日記です。よろしくお願いします。

最近の記事

幼少期まとめ

物心ついた時から「おとなしい」と言われて過ごした。 (もう少し積極的になってくれたらなあ・・というニュアンスだった) きつく物事を言われたらすぐ泣いてしまい、幼稚園の先生に 「トイレに行きたい」と言えずにお漏らししてしまう。 母からは「どうして言えないの!?言えなきゃダメでしょ??」 と毎回怒られていた。 その時はどうして言えないのか分からなかったし、言う意味も分からなかった。 なんていうか、「みんな私のことわかってるでしょ?」と言う感じ。 私が困っていたら手を差し伸べて

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    • 幼少期➉

      父の社員旅行に家族全員参加させてもらった。 2月か3月だった気がする。 私は幼稚園を休み、兄は学校を休んだ。 旅行先は沖縄だった。 父の会社からバスで空港まで行き、飛行機で沖縄へ行った。 私は当時、乗り物酔いをしやすかった。 空港までのバスはなぜか平気だったが、6時間近く飛行機に乗り、 酔ってしまった。 飛行機はとても楽しみにしていたのだけど、到着までの時間は恐ろしく退屈で。 みんな眠るなり本を読むなりうまく時間を潰していたと思うが、 私は昼寝ができなかった。 昼寝が苦手な

      • 幼少記⑨

        私には4つ上の兄と2つ下の妹がいる。 兄には度々からかわれて、それは小学校に入ったと同時にエスカレートしていった。 幼少期は兄が持っていたおもちゃで遊びたがったり、漫画を読みたがった。 だが貸してくれないことも多く、当時はそれを「意地悪」だと思った。 勝手にいじって怒られたこともあった。 そのため、少年漫画やアニメを読んだりみたりして過ごしていた。 その時のお気に入りは、「地獄先生ぬ〜べ〜」。 2、3冊しかなかったけど、それを読んで言葉を覚えたと言っても過言ではない。 当時

        • 幼少期⑧

          小学校は、幼稚園の頃も兄の運動会などで訪れていた。 最近新校舎に建て替えた学校だった。 私はそこで友達を作って勉強するなど、想像することなく残りの幼稚園での生活を、ぼーっと過ごしていた。 卒園式は、卒業証書を授与してもらい、卒園児で蛍の光を合奏する。 私は鍵盤ハーモニカで演奏をしたのだけど、当時は鈴がやりたくて (理由は簡単そうだから。細かいことを言えばクリスマス会でも全員で合奏をしたのだがその時の記憶とごちゃ混ぜになっている) 鈴がいいと先生に伝えると、 「鍵盤ハーモニカ

          幼少期⑦

          ちょうどクリスマス会の練習をする頃。 私のクラスの担任の先生が怪我のため休養することになった。 そのため隣のクラス(当時は同い年でもクラスがA組B組と分かれていた) の担任の先生「M」が兼任することになった。 そしてハンドベルの練習に取り掛かる。 曲は「きよしこの夜」。 十何人かでベルを交互に鳴らしていき演奏するのだが、 私はいつまで経っても上手くできない。 歌詞の「ねむりたもう」の部分が特に難しかったと記憶している。   居残りしてその隣のクラスのM先生とマンツーマンで練習

          幼少期⑥

          私が通っていた幼稚園は、行事が多かった。 遠足は年に2回は行ったのではないだろうか。 それから父兄参観、バザー、クリスマス会、ひな祭り、お泊まり会・・・。 卒園アルバムを見てみると、その2回の遠足の写真がある。 クラスごとの集合写真。 写真に写っている私は、泣いていた。 どうして泣いていたのか思い返すと当時、お互いの仲はそこまで悪くはないが、やはり言い方がキツイ女の子「A」がいた。 (Aのお父さんがお医者さんで、私は長い間お世話になるのだが、 それはひとまず置いといて) みん

          幼少期⑤

          ミッキーとは、本当によく遊んだ。 幼稚園ではと言うより、お互いの家へ遊びに行ったり、 幼稚園へ通う前も一緒に遊んだ。 母が当時働いていなかったのもあるだろうけど、ミッキーの存在があったから、そこの幼稚園へ通うことにしたのかもしれない。 小学校はお互い別で、卒園してからも時々会っていた。 でもだんだんと疎遠になっていき、大人になってからは、写真は見せてもらったが一度も会っていない。 ミッキーのお母さんは、昔から私に気さくに話しかけてくれた。 こんな泣き虫の私に、そのことを指摘

          幼少期④

          私が20代の頃、実家でたまたま幼稚園の時の連絡帳を見つけた。 懐かしいなと思い開いてみる。 しかし、親と先生のやりとりを見て、私は当時ショックを受けた。 父が言っていたことを、母が連絡帳にて代弁していた。 「エナツは友達を誘ったり、声を掛けるわけでもなく、ただ黙ってついて行っている。友達と一緒にいても話しかけている様子もない。 家で幼稚園は楽しいかと聞くと、楽しいと答えてはいるが・・・」 幼少期①でも書いた通り、おとなしい性格だと言われていた。 何がショックかって、これまで

          幼少期③

          同じクラスで、たまたま同じ地区から来ているということで、よく遊んでいた友達「Y」がいた。 今思うと、すぐメソメソする私によく付き合っていたものだなと思う。 でも私はYから結構きついことを言われていた。 それこそ口調や雰囲気は覚えていて、どんな内容だったかまでは覚えていないのだけど。 当時は親や先生に 「誰かからきつく言われた」 と相談というか、チクったことがあったかもしれない。 でも、 共感された記憶がない。 それとも、共感された記憶だけ消えてる? 今となっては、相手だけが

          幼少期②

          とにかく幼少期から対人関係が苦手だった。 入園式の日、隣に座っていた男子に何か言われた。 内容は全く覚えていないが、顔、口調は覚えている。 その男子が出している雰囲気が怖く、泣いてしまう。 言い返すという言葉は、私の辞書に無かった。 その時先生は、その男子に注意をしたのかもしれない。 ただ私は、それに味を占めたつもりは無かった。 「怒られてる、ざまあみろ」とも思わなかった。 ただ、私がすぐ泣くのは当然と、どこかで思っていた。 前回の記事でも書いたが、親に 「それくらいで泣く

          幼少期①

          私は、ごく普通の家庭に生まれたと思う。 父、母、兄、妹、私。同じ地区に父方の祖父、祖母、曽祖母が住んでいた。   私は物心ついた時から 「おとなしい性格だ」 と周囲から言われていた。 褒めるような言い方じゃなく、 「もう少し明るい性格だったらなあ」 というニュアンスで言われていた。 自分の思い込みで、周囲の人はそういう意味で言わなかったのかもしれない。 でもここでは、私が感じたことを正直に記していきたいと思う。 私は上記のように感じたのだった。   その一方で、わがままな性

          これからのこと

          お久しぶりです。 最近アメブロも始めていました。 じゃあここでは何を書く? 最近感じていることは、過去のことを消化しきれていないなということ。 紙とペンを用意して愚痴のように書き殴ったりはたまにしているけれど、 もしかして、誰か一人でも、私と同じような思いを抱えている人がいるのではないかと。 嫌な過去を引きずってしまったり。 完璧主義になってしまったり。 生きづらさを感じてしまったり。 なので、ここに記していきたいなと。できればありのままを。 私の弱いところ、良く言えば優し

          これからのこと

          不幸比べ

          ここに来て何を書こうか、仕事をしながら考えてるのだけど(仕事しろ)、 その時は思いついたり、メモをしたりしてる。 でも忘れてしまったりメモを紛失してしまったり… なので今。頭に思い浮かんだことを書いてみようと思う。 私は今まで、自分で不幸を作っていたのかもしれない。 嫌われたくなくて、周りに合わせて無理やり笑顔を作ってた。 短所を長所に変えようと、キャパオーバーなことをする。 何かするたびに自己嫌悪、罪悪感。 生きていれば辛いことって誰しもあると思う。 でもその辛いことを

          職場復帰とチャンス

          今日から職場復帰。 土曜日に上司の家に遊びに行ったおかげか、あまり緊張せず出勤。 みんな暖かく迎え入れてくれた。 箱ガシを持参し渡したのだけど、以前はどのタイミングで渡そうといつまでも悩んでいて、渡した後もよく分からない罪悪感や後悔。 何言ってんの?と思われるかもしれないけど、マジで。 休職中に職場に遊びに行ったおかげかもしれない。 てかそういう雰囲気の職場だったからかもしれない。 仕事を午前中だけでもいいって言われたけど、自分に問いかけた。 周りがそう言ってるからやるのか

          職場復帰とチャンス

          自分は自分でよかった。ということ?

          朝、夫が仕事に行こうとしたら、娘もオムツの袋を持って行ってくるねーと言って玄関へ歩いていった。 かわいかった。 そして私は朝からお腹を下した。 生理中のそれは辛い笑 でも、薬を飲まず出して治ってひと安心。 昨日、旦那のお姉さんからランチの誘いを受け、今日の昼、一緒に地元のレストランへ。 楽しかった。人と会うのが抵抗がないと感じた。 ありのままの自分を出せたからか、すごく充実した時間だった。家族以外でこんな時間を過ごしたのは久しぶりだった。   私は子供の時から人付き合いが苦

          自分は自分でよかった。ということ?

          むだい

          あの時ああしていればもっと早く自分は変わっていたかもしれない。 そう思って生きている人は多いと思いたい。 私がそうだし笑   私は本を読むのが苦手だった。 小学生の頃は母からよく 「本を読め」とよく言われた。 知り合いの人から児童書をもらってきたりもしていた。 読めと言われると読む気を無くす私。 国語も苦手で読書感想文も大嫌い。 でも図書館は好きで、自分の気になった本は読んでいた。 大人になって、つまづくことが多くなって。 でも恥ずかしながら、当時は自己啓発本なんか全く知ら