幼少期⑤

ミッキーとは、本当によく遊んだ。
幼稚園ではと言うより、お互いの家へ遊びに行ったり、
幼稚園へ通う前も一緒に遊んだ。
母が当時働いていなかったのもあるだろうけど、ミッキーの存在があったから、そこの幼稚園へ通うことにしたのかもしれない。
小学校はお互い別で、卒園してからも時々会っていた。
でもだんだんと疎遠になっていき、大人になってからは、写真は見せてもらったが一度も会っていない。

ミッキーのお母さんは、昔から私に気さくに話しかけてくれた。
こんな泣き虫の私に、そのことを指摘することもなく、本当に気さくに。
私が大人になっても変わらず、話しかけてくれた。
私が結婚した時はお祝いのカードもくれた。

ミッキーはいつも優しかった。
幼稚園のクラスメイトには、他の記事にも書いた通り、私にとってキツイ言い方をする子が多かったが、ミッキーからは特にキツく言われた記憶がない。
今思うと、私は男子と遊んだ記憶があまりない。
まず男子に関しては自分から「遊ぼう」と声をかけることはほとんど無かっただろう。
ただミッキーは、お互いの母親同士が仲が良かったのもあり、苦手とかは感じず一緒に遊んでいた。

男子は苦手。
その意識があったから、女子と無理をしてまで遊ぼうとしていたのかも。
一人でいると、先生が必ずみんなの輪に入るように促すものね。
一人で居たい時もあれば、みんなと居たい時もある。
でもそれを、昔は許してくれない雰囲気があった。
幼稚園も、小学校も、中学校も・・・。

書き始めて思うのが、過去にものすごく執着していると言うこと。
執着しているものを消化したくて自分のこれまでを振り返ろうとしたのに。

私の両親は、どう思っていたのだろう。
幼稚園に通って、活発に過ごしてほしかった。
思いやりを持って友達に接して欲しかった。
みんなと仲良く、それでいて積極的になって欲しかった。

私は活発ではない。
外遊びも好きだったけど、鬼ごっこや陣取りは嫌いだった。
競争も好きじゃない。
積極的になんかなれなかった。だって黙っていれば誰かがなんとかしてくれたから。
そう、誰かがやってくれていた。
幼稚園に入った時、誰かが代わりにやってくれると言う意識が常にあったように思う。
私もそれに甘んじてというか、それが当たり前だと思い、誰かが教えてくれるまで動かない。
というか、何をすればいいのか分からない。
たとえ指示されても。それが自分から何か新しいことを始める。と言うのであれば、動けないのだ。
要は、マニュアルがあればその通りやってみるけど、なければ動けない。

私は常々、両親の期待はずれの子供だった。
今だから、みんなと仲良くする必要はないと言えるけど、
当時は誰もそれを教えてくれなかった。
自分でとりあえずやってみることも。

こうやって書いてみると、周囲の人や環境が悪いように感じるかもしれない。
でも私にも原因があったことは承知している。

もう20年以上も前の話だから、どんな出来事があったか、あまり思い出せないけれど、
次は、遠足の話と、クリスマス会の話をしてみようかな。

つづく。

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