夏目漱石『文学論(下)』第四編第六章~第七章
第六章は対置法。
調和法と違って、共通点のないふたつのものを組み合わせて情緒を起こす技法。具体的には4つの方法がある。
緩和法は、緊張状態が長く続くときにふと安心させることを書くなど、真逆のものを投じることで、前者の効き目が麻痺しないようにする方法。
強勢法は、ちょっとした幸せが絶望の人に与えられるさまを書くなど、前者が普通以上の価値を持つように真逆のものを投じる方法。
これらの技法では、二者間の落差をしっかりつけることが大事!徐々に移行したら面白くないそうです。
仮対法は、ちょっと難しかったですね。
わかるようなまだ理解及ばないような感じでした。
不対法は、全然関係のない二者が結び付いて、その結びつきそのものに情緒が引き起こされる方法。
あるはずのないものがあるはずのない場所にあるとか、なんでそんなことをしているのかわからない人がいるとか、いう感じ。度が過ぎると矛盾が際立って面白みが減るので注意。
熱々の焼き栗が、閉め忘れたファスナーから股関に向かって飛び込んでくるのは笑えるけど、これが毒蛇だったら笑えないよね、ということらしいです。
漱石って大喜利が得意そうだなって思います。ギャグとかも見てみたいです。
第七章は写実法。
劇的なものを劇的に描くのではなくて、そこら辺にありそうなものを誰もが知っている言葉で書く方法。
感情移入がしやすいものの、盛り上がりのない面白くないだけの作品にもなりかねない。
(逆に、劇的なものは不自然で嫌みっぽくなる危険がある。どちらもバランスが大事)
たとえば、病気というものは誰でもするものであって、たいていは人生に影響を与えることはないけれど、小説だと人生を一変させる大病や難病ばかりが登場する。それがダメってわけじゃないけど。
なんでもないことを本当に上手に描くことができたら、紙上に小さな人生を再現することができると漱石は言ってます。(ニュアンス)
漱石はこの写実的な方法をうまく取り入れた作品を読むのが好きだったのかな~という感じがしました。本人の作品もそんな感じがするのですが、どうでしょうか。
例でとりあげられていた『傲慢と偏見』、読んでみたいですね。こういう作風って好きだなと思いました。
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