日記・34:幸福とは
東京で最後に日記を書いて、今日までどれくらいの時間が経っただろうか。
もう一度、このノートの続きから日記を書くことになるなんて、少し不思議な感じがする。この先、いつまで書けるか、どのような生活になるのか分からないけれど、後でもし読み返す機会があった時、少しでも励みになり、前に進む勇気の後押しとなれるように、時間がある時少しづつでも書いていければいいなと思う。
本当であれば昨日(6日)から書くつもりでいたけれど、昨夜は思いのほか酒に酔い、そのまま瞬と若菜と寝てしまった。
地元の先輩が奥様と一緒に、夜来訪されたのである。
仕事熱心で、とても尊敬出来る方である。
自分は小学校まで地元の学校に通っていたが、野球やサッカーなどの部活動、陣取りや魚釣り、かくれんぼに探検、ゲームなど本当にたくさんの事を教わった。
最初にビールを飲み、それから地元の米焼酎を飲んでいろいろな話をしてくださった。これからまた良い付き合いをし、多くのことを学んでいかねば、と思った。途中、再婚の事についても話が広がった。
私は熱心に聞いていた。こればっかりは巡り合わせだと、先輩夫婦も母も同意していた。
後にも先にも、自分にとっては妻はひとりだと、すこし朦朧とする頭と、お酒で熱くなった胸の奥底で噛みしめながら聞いていた。
二人の幼い子達にとっては何が最良の選択なのか、しかし、若菜をおんぶし、瞬の手を引き、ぼくの帰りを待ちきれずに駅まで迎えに来てくれていた、あの夕暮れの中の妻の姿を思い出す時、やはりこの子達にとっての偉大な母、そしてぼくにとってもかけがえのないたったひとりの存在であり続けるのは亡くなった妻以外にはいないのである。
逆境は力である。
人生は常に逆境である。
激しい向かい風の中を、歯を食いしばって進んでいくのが人間の生きる道なのか、私はいつもいつも、妻がそばで見守ってくれると信じる。
人が死んだらどうなるのか?そんな事は分からない。
大切なのは、死んだ人がどこに行くのかではなく、残された人がその人の事をどう思うか、ではないだろうか?
今日で、瞬と若菜とのんびり出来るのも最後である。明日から新しい仕事が始まる。二人の子達は保育園である。まだ小さくて可哀想だけど、涙を飲んで送るしかない。
この歳になっての新しいスタートだ。
がむしゃらにやっていこう!
そして少しずつ、この日記を書いていこう。
小さな子供達と手を取り合い、小さな事を乗り越え、この子達の笑顔の為に、亡くなった妻の分まで歩き進む事が、今の自分に出来る唯一の事であるから。