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【ブラック企業とホワイト企業】見る人によって色って違うよねって話

皆さんこんにちは、あんかけマンです。

私は4年間HR領域の会社を経営しており、働き方や仕事ということについて常に触れる環境で生活います。

HRというのはヒューマンリソースの略で、人の力を使って何とか課題解決しますよって感じのニュアンスです。

なので、必然的に人の転職の話だったり、企業の求めている人物であったり、今の世の中の『働く』って事に対しての情報に日々触れているのです。

その中で、「もっと働くってこういうものなんじゃないかなぁ~」とか
「採用ってこういうものなんじゃないかな~」って思うことがあるので、そういうのを中心にこのnoteは書いて行こうかなって思ってます。

ブラック企業って何だろう?

私自身、あまりSNSはやらない方で、

「他人の生活を覗いて、自分の人生の一体何がかわるんだろう?」

と思う派なのですが、一部情報収取だったり業界内の付き合いの中でFacebookやXを開くことがあります。

本来、採用支援の中でSNSの活用や若者の流行りなどを追っていく必要があるので、敏感にそういうものは見ていた方が良いのでしょうが、そこに関してはそういうのが好きなマーケターに任せています。

「新しい情報を入れるには読者が一番ですよ」っていう話はまた別の記事で書くとして、今回はブラック企業とホワイト企業というものについての話なので、そのあたりのお話をしていこうと思います。

そもそものブラック企業の語源を調べてみると、一番最初にブラック企業という言葉が世の中に浸透したのは、どうも2チャンネル発信らしいです。

2001年ごろに、就職掲示板で「就職してはいけない企業ランキング」が盛り上がっている中で、法政大学で管理されていた、離職率が高く学生には勧められない、いわゆるブラックリストが当時の関係者からリークされ、画像がアップロードされたことが話題になったらしい。

もともとはブラックリスト企業を略してブラック企業と呼んでいたみたいですが、2000年代後半には、闇=ブラックみたいな語源から、ブラック企業というワードが広く一般に普及していったようです。

ブラック企業の定義って何だろうか?って考えてみると、これは人によって違ってくる気がしていますが、大体下記のようなものだと思います。

  • 残魚時間がめっちゃある

  • 年間休日日数が少ない

  • 上司が帰らないと帰れない雰囲気がある

  • サービス残業精神が豊富

  • 失敗するとめっちゃ詰められる 

など、まぁキリがないです。

ホワイト企業って何だろう?

じゃあ、ホワイト企業って何だろうか?ってことで調べてみました。

ホワイト企業とは Google検索結果 2024/8/22時点
  • 残業がない、残業時間が短い

  • 離職率が低く、平均勤続年数が長い

  • 安定した給与制度がある

  • 有給休暇を取得しやすい

  • 仕事内容の肉体的・精神的負担が少ない

  • コンプライアンス意識が高い

  • 労働組合がある

  • 教育・評価制度が充実している

  • 社員に均等に活躍の機会が与えられている

  • 業績が安定している

と、言うのがホワイト企業らしいです。

一般財団法人日本次世代企業普及機構(通称:ホワイト財団)という団体も存在し、ホワイト企業認定というものを発行していたりもします。

要は、労働環境が整っている企業=ホワイト企業として世間は認識しているという事です。

働くってどういう事だろう?労働ってどういう事だろう?

そもそも「ホワイト企業」「ブラック企業」という言葉が存在している背景として、

「働くこと=耐える事」

という方程式がある気がしていて、私はココに対して違和感をおぼえるわけです。

「働くこと=耐える事であり辛い事」という社会一般的な認識があるからこそ、「ブラック企業」「ホワイト企業」という言葉があると思っていて、

要はそれって、内部にいるわけでもガヤが勝手に採点して勝手に言ってるだけですよね?

とか思ったりするわけです。

勘違いしないで欲しいのは、上にあげたような特定の団体を非難するとか、そういう意図は全くなく、

概念的にホワイトブラックって言葉では表せないような、その環境におけるものがあると思っていて、そういった諸々の事情を考慮していくと、結局そこにいる人たちが、何を思って働いているのか?みたいな部分が大事だと思っています。

ハタラクとは、傍(はた)を楽(らく)にする。という意味で、

ってのをお坊さんが言っていたりしますが、私はこの考え方が好きです。

結局仕事っていうものは多かれ少なかれ、経済的利益を生んだ結果、自分のもとにお給料という形でお金が入ってくるわけで、

経済的な利益を生んでいるということは、誰かがHappyにはなっているわけです。

逆転クオリア/色の見え方についての話

皆さんは、「逆転クオリア」という、哲学上の概念をご存知でしょうか?

例えば恋人が隣で夕日を見て

「真っ赤で綺麗な夕日ね」
と言ったとします。

その時あなたも夕日を見て、
「ああ、真っ赤で綺麗だ」
と言ったとします。

この時二人は、同じ景色をみて、同じ気持ちを共有しているように見えますが、果たして本当に見えている景色が同じと言えますか?

というのが「逆転クオリア」というものです。

え?どういう事?ってなると思うので、もう少し詳しく解説します。

あなたの見た赤い夕陽

例えば、あなたの見えている夕日はこちらの「赤い夕陽」だとします。
あなたは夕日を見て「真っ赤で綺麗だね」と言いました。


恋人の見た赤い夕陽

恋人の目にはこちらの景色が見えていました。
しかし、恋人も「ええ、真っ赤で綺麗な夕日ね」と言いました。

二人は実際は違う色を見ていますが、「真っ赤な夕日」という共通言語で通じ合っています。

逆転クオリアの原理

隣にいる人が、自分と反対の色を見ていたとしても、その人がその色の呼び方を自分の見ている色と同じ名称で認識していたら、実際には違う景色を見ているかもしれないけど、同じ景色を見ていると錯覚してしまう

というのが、この話の全容です。

だからどうしたって話なのですが、まぁ要は

「人は真の意味で他人と分かち合うことは出来ず、孤独である」

っていう感じです。雑にまとめると。


「そんな、アホなぁ!」

って思うかもしれませんが、これって以外とあることで、色で例えると確かに実感しずらいです。

例えば小学生の時に、冬なのに半そで短パンで学校に来てる男子。居ませんでしたか?

寒いねぇ~ってその子に話しかけると、確かに寒いねって答えるのですが、

「いや、絶対お前の言う寒いと、こっちの言ってる寒いちゃうやろ」

ってあれです。


中学生の特に「全然勉強してねぇわ~」って言って本当に赤点取る人と、ちゃっかり平均ちょい上の点数取ってる人の違いみたいなものです。

要は何が言いたいかっていうと、

人によって全然感じ方違うんだから、色なんかで表したってあんま意味なくない?

っていう話です。

あの企業はブラックだから辞めた方がいい。
この企業は年間休日が多いからホワイトだ。

っていう単純な話じゃない。
って事です。

分かりやすく色で示してるけど、それって結局誰かの色眼鏡越しに見えた世界なわけであって、自分にとっての見える世界とは異なりますよね?っていう事が言いたいわけです。

自分の目で見た色を信じて生きたい

じゃあ、どうしてみんな他人の色眼鏡で見た色で議論しているかっていうと、単純にわかりやすいからだと思います。

誰かが決めた、誰かの世界で生きていく事が楽だから。

だって誰かが言ってたんだもん。


でも、はたらくってそういうもんじゃないと思っていて、もっと自分の中にある深い感情に対して、時間を投下するものだと思っているんです。

っていうか、そういう状態が、本当に成果を発揮できる状態だと思っていて、

そういう人が増えたらもっと世界はライトで軽快なものになるのになぁ~って考えています。

「あの会社はブラックだから~」とかそういう事を、外の世界にいる人が言うべきじゃないんじゃないかな~っていうのが一つと、

自分の働いている環境が「ブラック企業」だと思うなら、さっとその場からいなくなれば良いんです。

きっとブラックというか「合ってない」のだと思います。

従業員を不幸にしてやろうと思っている経営者なんていないし、何かしらの事業があってそういう形態になってしまっているんです。(多分ね。)

法的にアウトな場合はブラックというか違法なのですが、

そういう事情諸々を把握したうえで、自分がその場所にいるべきか居ないべきかを判断すればよいだけだと思っていて、

それでも頑張りたいならその場所に残れば良いっていう、割と単純な話なのです。

逆転クオリアの話で触れたように「世の中全ての人にとって共通の景色」というものは、存在せず(保証はないという文脈で)

それぞれが自分の見える世界で生きてるわけです。

大事なのは、自分が見た景色に対してどのような決断をして、どのように生きていくのか?ではないでしょうか?

っていうそんな感じの話でした!

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