『孤独の印』オリジナル⑤
「そろそろ寝る支度をしましょうね」
レメクは喜んで、一緒に布団を敷きました。レメクは部屋の隅から両手一杯に藁をかき出してくると、チラの敷いた薄い布団の上に、ドサッと置きました。
月光に埃が雪のように舞い踊りました。
藁の下から黒い虫がカサカサと這い出て来ましたが、二人は気になりませんでした。虫は出入口の前で、一瞬止まったかとおもうと、固い殻の内側から透明な羽を広げました。羽は月の光に、宝石のように輝いて、外へ飛んでいきました……。
……翌朝、チラが目覚めると彼はいなくなっていました。チラは起き抜けのまま、草鞋をつっかけて川へ彼を探しに行きました。
川へいったのかしら。
昨日あれだけ痛かった日差しが、今朝、肌を照り返して和らいでいます。足の裏を指し続けた川岸の丸石も、つま先で飛ぶように渡れば、どうということはありませんでした。
注意深く、踏みつける丸石を選ぶ目が、彼女のつま先を見捉えます。
草鞋に分かれた親指の爪は、まるで透明な真珠のよう。爪から伸びる細い足は、キビ粉を塗り込んだかのように、白く澄んでいました。
「まるで若返ったみたいですね」
チラの独り言は柔らかく、伸びやかです。
見上げると、川の水が光に跳ね返っては宝石を撒き散らして、遠くの森は緑に映えて、空の雲はモクモクと遥か、天空へと伸びていました。
雲の麓から男が一人、こちらに向かって走ってきます。薄い下着をしっかりとしめた、たくましい下半身。チラの首より太く筋張ったフトモモ。日に焼けた赤銅色の上半身が汗に光っています。自然に鍛えられた身体は、腕や胸、腰回りにいくつもの筋をつけ、短いくせっ毛が黒く、軽く目に掛かって汗を滴らせています。
男はチラのそばで彼女の顔を捉えるやいなや、立ち止まって白い歯を少し困ったように見せて、
「もしかして、チラかい」
と言いました。
「はい、ここにはチラとレメクが二人で暮らしています」
男は喜んで、
「わたしだよ、メレクだよ」
と言いました。
二人は揃って川面にしゃがんで、自分たちの顔を映しました。若さに美しく映えた二人の男女の影が、水に揺れています。チラは、揺れる川面では自分の顔をよく見ることができませんでした。しかし膨らんだ乳房を隠すくらいの長い黒髪に気がつくと、自分もまたメレクと同じように若返ったことを知りました。
メレクは急に立ち上がって、
「家に帰ろう!」
と言いました。昔の癖で片膝をついて立ち上がろうとしたチラを、メレクは急に抱きかかえます。
「え、どうしたのですか……」
メレクは左手で細い肩、右手で膝を抱えると、白い歯を覗かせて家まで走り出しました。
若さに気がついた青年の疾走。いまの自分なら何をしても許されるという確信。いや、許しなど彼等には必要ありません。ただ互いの存在が、互いの喜びでした。
メレクは藁の山にチラを降ろすと、覆いかぶさりました。
驚くチラの瞳は、メレクの瞳に吸われるようにゆっくりと閉じていきます。
甘ったるい体臭。
まぶたの向こうが赤く光るのは、屋根の穴から日差しが注いでいるからでしょうか。メレクの薫りは、垢と油に甘くチラの鼻腔を突きます。滲むような彼の薫りに包まれたチラの身体は、溜め息のたびにしびれました。息を吸い、痺れが体を巡ると、今度は指先から返ってきて、分からなくなりました。
いつまでも終わらないまま、身体に沿えられた誰かの手、微かに声が聞こえました。