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安住の地
2024年2月18日 14:28
私の街はいわゆる住宅街にある。小さい頃は、黒田川という駅と並行に流れる幅5mほどの川に沿っていつも帰宅していた。Googleマップにはいまも名前が書かれていない。私が小学生のとき、この川にはたくさんの鯉が泳いでいて、黒い魚影が帰り道にいつも見えていた。中学生のときに水位が下がり始め、高校の頃には鯉が水面で口をパクパクさせ、大学でたまに実家に帰るときにはもう干からびていた。川を挟んで駅側には「なんで
2024年2月11日 11:57
この街には わたしの祖父母の家がある。この駅を降り、少し歩くと、傾斜面に掘られた謎の溝の道がある。幼い頃、危ないからという理由で、傾斜面の溝には、姉しか通ることが許されなかった。いつも私は、傾斜が緩い溝のほうを歩いていた。その溝を歩いたあとに、祖父母の家に着く。一度だけ、人影のような、灯火のような、少女の霊を廊下で見たことがある。遭遇した後、当時は、眠るのが怖かったが、この家や
2024年2月6日 19:11
今回の企画にちなんで、自分の住んでいた街の話を文章に書くことになった。大学生まで住んでいた街、私の生まれ育った街の話を書く。だが、いざ書こうとなるとこれといった記憶がない、なんだか覚えてない。覚えているような覚えていないような不思議な感覚だ。でも20数年は住んでいた街だし。きっとなにかがあるはずだ。これを機に頑張って思い出してみよう。京都市の少し北の方、紫竹という地域に住んでいた。少し
2024年2月2日 22:26
モータープールを囲んだ文化住宅の長屋で幼少期から過ごした。道路から少し離れた区画だったので、鍵をかけない家も少なくなく、一帯に住んでる子供達でなにかしらの遊びも全てこの区域で完結していた。知らない人も居ないし親同士仲も良いので、夕食後に遊びに出掛けて門限など無く遊び、23時を超えて帰ってくる日も多々あった。今思うとそんな小学低学年ってどうなんだ?窓を開けて焼き肉なんかしてたら、火事よ!火
2024年1月30日 21:17
これはほんの少しだけ昔の話。家の前に大きな空き地がある。大きな大きな空き地がある。修学旅行生がよく泊まっていた大きめのホテルが取り壊され、周辺の家屋も取り壊され、それによってできた大きな空き地がある。私は家族と共に住むマンションから大きな空き地を見下ろしている。ホテルはコロナ禍になくなった。ここに住むずっと昔からそこにあったので、急な取り壊しに家族は騒然としたものだ。周辺の家屋と
2024年1月26日 10:50
地元に楽しい思い出があんまりなくて「あの通学路でぼこぼこに言われた」「あの公園で泣いた」とか、なんとも嫌な感じのうらみつらみが、しとしとと出てくる。そんな地元を離れてたくさんの人に出会った今、今なら”地元に住んでる頃の自分”にどんな言葉をかけられるかなと思いながら、思い出してみた。スーパーヤオヒコは、長く続いてる。今もめっちゃ安いよ。近所の公園のおもしろ迷路みたいな遊具は撤去されます。不
2024年1月23日 14:57
わたしの地元、神戸市東灘区の山側のおはなし。わたしの家の周りにはいろんな動物が住んでいる。朝はウグイスやメジロの鳴き声大合唱で目が覚める。これが本当に気持ちよくて、この声で目覚めたいがために、私は実家に帰りたくなる。ゆっくり眠りたいときでも必ず起きてしまう。このことを、わがままで最高の贅沢というのでしょう。幼稚園の頃、わたしは父親と庭にサツマイモを4つ植えた。次の日、庭一面、耕さ
2024年1月19日 21:23
私の本籍地は、和歌山県有田郡にある。和歌山県といえば、黒潮市場やマリーナシティなど海のイメージがあるかもしれないが、有田郡はめちゃくちゃ山の中である。祖母の家の周辺は電波が悪すぎてネットが使えない。時折、スマホのGoogleマップが使えなくなって道に迷った車が祖母宅の周辺をうろちょろしている。店の類は一切無い。しいて言えば、祖母宅から数十メートル歩いた先に飲み物の自動販売機がある。
2024年1月17日 13:22
JRの駅の近くに小さな花壇があって、小さな前方後円墳がある。かつてあった古墳のモニュメントなんだろうけど、かつての権力者の墓がこんな小さなものになってしまったと思うと何とも言えない気持ちになる。この街には古墳が多く、いろいろなところで古墳が残っていたり残っていなかったりしている。その中でも最大の恵解山古墳は近年公園になって埴輪などが丁寧に並べられて、前方後円墳の形があらわになった。昔行ったときは