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こんな本を読んできたー私の雑読遍歴ー(2/4)

幼稚園時代 自己を守る要塞のごとく

4歳になって、幼稚園に入園しました。初めての集団生活はまったく私には合いませんでした。みんなでお遊戯とかが苦行で、その時間はピアノの下に潜ってました。

そういう場所だから結局やることといえばお絵描きと読書(^_^;) キンダーブックというタイトルの絵本雑誌が何十冊もあって、それを片っ端から読んで、一巡したらもう一巡とかで。お絵描き帳もハイスピードで描き潰し。その費用も馬鹿にならないので、とうとう母はち父の会社で出来る図面の青焼きを切って折って糸で綴じて、手作りお絵描き帳を作ってくれていました。

家では子供向きの科学図鑑を毎月購入してくれて、これも楽しみに読んでいました。他のおもちゃは欲しがらず、喜ぶのは本だけ、という子供。やりやすかったかもしれませんが(^_^;) あ、ちなみに私が文字を覚えたのは家のなかに散らばっていた百人一首の取り札でした。あれを読んでいるうちに自然と覚えたみたいです。



小学校時代 どこにでも本があるしあわせ

クラスの中に学級文庫がありました。すでに読んでしまった誰かの本、兄弟が読んでいたけどすでの不要になった本などを集めた文庫です。それを片っ端から読破しました。なぜか江戸川乱歩の本が多かったなあ。少年探偵団とか怪人二十面相とか(^^;) 一応ミステリに入るんだけど、堅苦しくない本でしたね。

学級文庫を読み尽くすと必然のように学校の図書館に移ります。ここでは佐藤さとるさんのコロボックルシリーズに出会って夢中になりました(^^) 大人になってから全巻ハードカバーで買ったくらいに好きなシリーズでした。


あの時代ならではの本もありました。アメリカのティーンズを主役に書いたティーンズノベルで,主人公は主に少女で、都会や知らない場所で自分の行く道を見つけていくストーリーが多かったです。意外にロマンス要素はあんまりなかったです。表紙のデザインに上品なピンクが入っていたのをうっすら覚えています。


高学年の時、ジュブナイルSFにはまりました。
その後に日本を代表するSF作家のかたがたがこぞってジュニア向けのSFを描かれていて、それにはまりました。小松左京さんや眉村卓さんや豊田有恒さん、筒井康隆さんなども。星新一さんの作品はそのままでジュニアにも読みやすいと知ったり。目茶苦茶懐かしいな(^^)


漫画の方では手塚治虫さんの「火の鳥」に夢中になっていました。未来編のラストの衝撃で小学生は3、4日立ち直れなくなっていました(^^;)

あ、基本的に私は活字と漫画に違いを置いていません。情報量が多いだけに漫画の方が読みやすいのはあります。特にうつの時は活字に集中出来ないことがよくあるので、漫画だと助かりますが。

でもこれは慣れかも。海外で育ったハーバード出身の知人に漫画の話題をふったら「あ、すみません。漫画を読むにはちょっと訓練が必要です」と言われてしまった。私らなにげなく読んでますが、絵と台詞と描き文字などを同時に受け止めて理解するのは技術が必要なのかもしれません。興味深い文化ですね(^^;) いまや漫画は中国や韓国でも隆盛ですし。

なにを読んでいたか覚えてないんですが、高学年の時に母が「先生、うちの子が難しい本ばかり読んでるんですが大丈夫でしょうか?」と担任の先生に相談に行ったようです。先生は「大丈夫です。どんどん読みたい本を読ませてあげてください(^^)」と言ってくださいました。先生ありがとうございます(^^) 普通は読まない子の相談かと思うんですが、まあ、いろいろありますよね(^^;)

お経の意味がどうこうと言ってたのは覚えてるんで,仏教とか哲学ぽい本かな??

それでも親は学習と科学の本も毎月買ってくれていました。読むのが速いから毎月発行でも足りないですけどね(^^;)


中学時代 ひとり時間のたのしみかた

一緒にお弁当を食べたり,一緒に登下校したりする友達は何人かいたけど、やることがない休み時間にはやっぱり本を読んでいました。当時はまた町内で貸本屋さんが残っていて、そこで借りた漫画のことも忘れられません。お小遣いをもらうようになったんですね。

石ノ森章太郎さんの「サイボーグ009」とか白土三平さんの「カムイ伝」「カムイ外伝」「忍者武芸帳」などです。「死の商人」のことをここで知って、戦争は絶対にいけないとか「火の鳥」の影響とも相まって思いが強くなりました。なにしろ直接戦争を体験している方々ですから。

この辺のヒーローがとても素敵だったので、さてどうしよう?模写する、トレスすると言うよなことはたくさんやりました。どうもこの辺が同人誌活動の原点かもそれません。コピーして残すことも出来ない時代です。模写するしかないやんねー(^^;)

白土さんの作品は解説もうんちくもたくさんあって、「お盆のお供えを再利用した福神漬けの作り方」とか「罹患すると100%死亡する恐ろしい狂犬病の初期症状」とかいまだに覚えているくらいです。白土さんの作品は差別された人々に触れられることが多く、これもいまだに差別と人権問題を考えるのに欠かせないものになっていたと思います。骨太の漫画だよね。

それとは対照的にちょうどこのころに少女漫画の24年組という世代が一気に花を咲かせます。萩尾望都さん、竹宮恵子さん、青池保子さん、木原敏江さん、山岸涼子さんなど、読んだことがない漫画家さんはいませんでした。彼女たちの感性は思春期の少女たちにぴたりとはまりました(^_^;)

骨太の漫画と繊細かつ華麗な作品世界も違和感なく受け取れるお年頃でした。さらに加えて私は当時の大河ドラマがきっかけで「新平家物語」のドラマに夢中になり、その勢いで吉川英治さんなどの原作小説にもどっぷり浸っておりました。一番大河への情熱があった頃でした。もっと並行してSFも結構読んでいたので、あの年頃の吸収力は我ながらすごいと思っています。

中高校時代は国語の教科書が読書の入り口になったことも多かったです。教科書に取り上げられる作品って大抵全部じゃないですしね。載っていない分を補完して読みたいのが私でした。

うまいことそういう気持ちのフォローをしてくれたのが学校に売りに来られていた新書サイズの文芸書でした。旺文社の発行だったような気がします。そのシリーズで井上靖さんや井伏鱒二さんの存在を知りました。井上靖さんの詩はいまでも大好きです。

友達がいなくても読書が友達状態。登下校がいっしょだった友人たちとは3年の頃にクラスが離れたので、隙間時間にいっそう読書がはかどりました。高校受験でしたがあんまり勉強しませんでした。当時、理学部の大学院生だった従兄が近くに住んでいて、数学を初めとする各教科の疑問点をメインに教えてもらってました。週一で。

このころすでに自分の勉強法を見つけていて、だらだらと続けていても駄目で、短時間集中でした。1時間くらいで終了。授業時間に集中して聞いていれば家に帰って勉強しなくていい、と思って授業は真面目に受けてました。わからない処はピックアップしておいてまとめて聞きます。それが合理的な時間の使い方でした。で、そうやって読書やお絵描きの時間を捻出していました(^_^;) 毎晩祖母に「はよ寝ーや」と言われつつ。

ただそれなりのプレッシャーはあったのか、中3くらいから頻繁に片頭痛に襲われるようになります。前駆症状の典型とも言える閃輝暗点が起きてきて、目の前がホワイトアウト。教科書も黒板もノートも真っ白になって何も見えなくなります。治ると今度は脈と一緒に拍動するガンガンする激しい痛みが。痛さで吐き気や腹痛が起きます。ほとんど毎週くらいに起きてたかな。普通の鎮痛剤は効きません。音や光に過敏になるので、薄暗い部屋で寝ているしかないと言われます。

その状態で模擬試験を受けたことがあって、どうやって受けたのか自分でも覚えていません。特殊な能力開発したいのかも(^_^;)

それと腹痛にも襲われていました。真面目に登校していた中学時代ですが、全然健康的ではなかったかもしれません。祖母に陀羅尼助丸という苦い丸薬をもらって飲んでいました。



(続きます)

#読書 #本 #中学時代 #小学時代



現在の本棚その1。
好きだからドレスを着せていたリカちゃんはもっとたくさんいたんですが、
あちこちの現役の少女(幼児)たちのところにお嫁に行きました(^_^;)




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