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マンションとパン:博士の普通の愛情・後編
何度かお互いの部屋に行き来するうちに、僕らは付き合うことになっていた。なっていたというのも変だけど、ふたりとも何かをはっきり口に出して言う性格ではなかったので、自然とそうなったとしか言い様がない。2階の僕の部屋にふたりの荷物のほとんどを置いて、9階をできるだけ物がない部屋のようにして広々と使った。その夜は9階の部屋でテレビを見ていた。
「さっき、真吾はテレビを観ていて変なところで笑っていたね」
「そうかな。気になったの」
「うん、前だったら笑っていなかっただろうと思うところで笑ってた」
「よく観察しているなあ」
「だって、真吾のことが好きだし」
「そうか。僕のことがそんなに好きか。よしよし」
「そういうことも言わなかったよね。慣れてきたっていうんじゃなくて変わってきた感じがする」
少し真面目な顔で香織が言うのを聞いて、ここはふざけてはいけない局面だと理解した。
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「僕、ここ数年で変わったのかな」
「確実に変わったと思う」
「香織は変わってないの」
「私もどこか変わっているはずだと思うよ。でも真吾が気づいていないだけなんじゃないかな」
「そうか。僕の鈍感さだ」
「私たち、27で知り合ったでしょ。もう30歳になったよね」
「うん。3年前の春だった。桜が咲いてた」
「真吾があの日、パンを買うのに間に合っていたら私たちは出会うことはなかったんだよね」
「間に合わなくて本当に幸運だった」
「今でもそう思ってるの」
「ウソなんかつかないから愛情を確かめないでくれよ。思ってるよ」
「確かめるよ。確かめないとわからないんだよ」
僕らはどんなふたりであっても訪れるだろう、新鮮さがなくなる時期に来た。手放しで何でも楽しめる関係ではなくなって、テレビのバラエティ番組で笑うところが違ってくるようなどうでもよさを始めとして、少しずつ関係が変化しているのだ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。