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説教は奢ってから言え:Anizine(無料記事)

私はご覧の通り、60歳なのですが、壮年の条件をクリアしているのは頭髪の過疎化だけです。地位、収入、人望、たたずまい、すべてにおいて年齢相応ではないと感じています。

若くあろうとは思っていません。アンチアンチエイジング派であり、何も気にしていません。年齢というのは抽象的なモノで、6歳のキリンと8歳のキリンが見分けられないように、大差ないと思っています。何か間違っているでしょうか。

年齢で人を区切ることにあまり意味はありませんし、年長者を敬うのは若い人が気まぐれにするべきことで、年長者みずからが「自分を敬え」というのは大きな間違いだと思っています。若い頃にそういう大人をたくさん見てきました。尊敬される根拠がある人は、本人が言わずとも勝手に敬われるものだ、と言ってやりたかったです。

私はまるで尊敬される理由がありませんから20歳も年下の友人と普通に遊んでいます。無駄に元気です。年功序列の良さと悪さが逆に出ると本当にダサいことが起きます。「説教は奢ってから言え」という名言があって、後輩を説教した後に割り勘というのは絶対にあり得ません。説教は先輩のインドア・レジャーなので、つきあわせたらお金を払う。もし払えないのだとしたら、説教は「自分の経済力」に対してお風呂場の鏡の前でしたまえ。こことても大事です。

若い元気な友人、年長の渋い大先輩、のどちらとも話す楽しさがありますが、大事なのは『内容としての敬意』であって、そこを丁寧に考えないと表面的に敬語を使っていても何もなりません。自分のパーソナルなルールは「年下を呼び捨てにしない」。体育会系じゃありませんし、とにかく誰が社会的な立場が上、などには何も興味がありません。自分に地位がないからそれはポジショントークだろう、と言われればそれまでなのですが、そっちの方が争いから遠くていいと思っています。

単純に言うと、自分のオリジナリティで独特なものを作り出している人はだいたい面白いし、敬意を感じます。


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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。