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Kさんへ:Anizine

いつまで経っても「X」とは呼ばずにTwitterと書き記している私が、JRを「国鉄」と言い続けるおじさんのように頑迷だというのはわかっています。わかってはいるのですが、あそこで行われてきたコミュニケーションの本質は決して「X」とイコールではないのです。そこで知り合った多くの人との思い出は大げさに言えば、同級生のようであり、青森山田高校が「聖ジョセフ高校」と改名したとしても、同窓会では山田高校の思い出として語られるはずで、知らない間にクリスチャンになられても困るのです。

KさんがTwitterから姿を消したことは大きな損失ですが、おそらくこのnoteは読んでくれていると思うので業務連絡。

私がネットでのコミュニケーションに触れるようになったのはパソコン通信のNiftyServeからです。2006年にサービスを終えているので知らない人もいるはずです。そこで私は初めて「知らない人と話をする」というおかしな風習を知りました。だからか、パソコン通信が始まった80年代後半にはアマチュア無線をやっていたユーザーが多かった気がします。知らない人と電波が通じる、という奇妙な感覚に慣れていた人々です。

それから個人ブログ、mixiなどを経て現在に至るのですが、そこで知り合った人は多く、私の人生に多大な影響を与えました。もしインターネットがなかったらと思うとゾッとします。ゾッとしない、という表現もあって「どっちなんだよ」と思いながら話を進めますが、もし2025年の今となってもソーシャルメディアがなかったら、と想像することすら恐ろしく、鳥肌とサブイボが同時に立ちます。

「ネットは世界と通じている」という触れ込みでしたが、結局のところ誰もが知人との関係に重きを置いているのが事実です。友人との連絡や、頻繁には会えない遠くにいる親戚などと「わー、ヤマちゃん結婚したんだね。親友の幸せは自分のことのようにうれしいよ。おめでとー」とか「ノリスケは就職が決まったのか、よかったな」のようなコミュニケーションで溢れています。ちょっと嫌なことを言わせてもらうと、ヤマちゃんから結婚式に招待されなかった人は親友じゃないと思います。

そんな実際に知っている人との関係だけではなく、たまたま見かけた「面白いことを言う人」に興味を持つことがあり、逆に、持たれることもあります。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。