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九州の人:博士の普通の愛情
しばらく前に乗ったタクシーでのできごとを思い出した。渋谷から高円寺まで行く数十分の間にドライバーから聞いた話だ。
「高円寺ですか、かしこまりました」
という短い言葉の中に、明らかな東北のアクセントがあった。僕はタクシードライバーと話すのが好きなので聞いてみた。
「運転手さん、東北ですか」
父親が福島なので絶対に外すはずがないと思っていたのだが、答えは違った。
「よく東北のお客さんにそう言われるんですが、福岡です」
おかしい。僕の東北弁センサーは鈍ったのだろうか。
「一緒に暮らしていた女性が東北の出身で、長い間それを聞いているうちに移ってしまったんですよ」
と言った。僕の知り合いでも数年の神戸への単身赴任で関西弁になって帰ってきた人がいるが、言葉はそう簡単に移るものなのだろうか。ドライバーは元々無口で、相手の女性はよく話す人だったという。彼の東北弁を聞いていると、ちょっとアクセントが違うなんてものではなく、年配の人が話す津軽弁に近いような印象すらある。濃いのである。
ドライバーはおそらく60代の中頃で、のちの話の中に「やもめ暮らし」というフレーズが出てきたし、一緒に暮らしていた、ということは今はもうその人はいないのだろう。彼の言葉の中にだけ残っている東北出身の女性を想う。九州の言葉は少し東北弁に似ているところがあるから、徐々に相手のアクセントに近づいていったのかもしれない。無口な男とよくしゃべる女性の暮らしはどんなものだったのだろう。
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知らない人には同じように聞こえるかもしれないが、東北弁にはそれぞれ特徴がある。一番癖がないのは宮城の中心地・仙台などで、どちらかというと彼らは意図的に標準語に近づけようとしているのではないかと感じることすらある。反対に日本語として認識しづらいのが津軽弁。テレビで太宰治のドキュメンタリーを見ていたとき、ひとりの年配の女性がインタビューに答えていたのだが、標準語の字幕がついていた。それほど難解なのが津軽弁である。
中野を過ぎた頃、ドライバーのスマホの着信音が聞こえた。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。