包帯をした女性:博士の普通の愛情(無料記事)
ときどき行く近所のカフェには外国人が働いている。ネパールやベトナムの人が多いようだ。どちらもそうなのだが働き者で明るい人が多いように感じる。ベトナムは僕がアジアを好きになったきっかけの国だ。初めてホーチミンに行ったときに出会った人々の印象が今でも強く残っている。僕のような外国人が来ても接する態度が変わらない。ずっと前から近くに住んでいる人であるかのように話しかけてきて、話した翌日にはもう友だちのような顔で挨拶をしてくれた。
数年前にそのカフェでコーヒーを頼むと、右手に大きな絆創膏を貼った女性店員がいた。数日前に来たときはなかったはずだ。どうしたのか聞いてみると厨房でやけどをしたという。僕が「お大事にね」と声をかけるとポケットの中からメモ帳を取りだして「ここに書いてください」と言った。人の怪我や病気の時に言う言葉だね、と彼女は言う。ネパールから来た彼女の日本語はすでにとても上手だったがまだ勉強は欠かさないようだった。彼女はしばらくしてカフェからいなくなった。
昨日の店員も手に包帯をしていた。以前のことを思い出しながらベトナム人の彼女に聞いてみると、何を聞かれたのかよくわからなかったようで、「すみません」と謝る。接客業としてその包帯がマイナスだと思ったのかもしれない。「そうじゃなくて、怪我したの。大丈夫ですか」とゆっくり言うと、急にはにかんだような笑顔になり「怪我しました」と答えた。僕は異国で働く人を見ると無条件に尊敬する。自分にはできないと思うからだ。それなのに搾取や不当な労働を強いる悪質な企業もあるから心が痛い。
「空手で怪我しました」
思いもよらない答えが返ってきて驚いた。彼女は近くの空手道場に通っているのだそうだ。なんだかその表情とつたない言葉を聞いていると、ただ客と転院であるというだけではなく、こういう何でもない話ができるのはいいなあと思った。
「どこから来たの」
「ハノイです」
「僕はハノイとホーチミンに行ったことがあるよ」
「そうなんですか。サイゴンもいいところです」
いまだにホーチミンをサイゴンと呼ぶベトナム人は多い。
注文したり、コーヒーを持って来てくれるほんの一瞬だけの会話。もっと長く話してみたいと思うが、誘うのは難しい。何が難しいのか自分でもよくわからないが、最終的には男女であるという点に尽きるだろう。どちらかに恋愛感情が生まれたときにどうすればいいかがわからない。それは彼女が外国人であるからという理由ではなく、もっと別の問題だ。僕は恋愛に巻き込まれたくないのだ。都合がいいようだけどこうして距離を感じながら話すのが心地いい。
偽善者のような言い方だけど、日本に来て働く人々には日本を好きでいて欲しい。嫌な目に遭って欲しくはないし、自分の国と同じように会ったら挨拶する人がいて欲しい。包帯を巻いていたら「どうしたの」と心配されて欲しい。大きく考えると男女問わず、愛情というのはそういう小さな気持ちの積み重ねなんだよなと思った、というメモです。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。