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意図が読まれる:写真の部屋
いつも書いているように、仕事でない限りは誰がどんな写真を撮ってもいいと思っています(仕事の写真には目的があるので除外します)。
ただしそれを反対に考えると自分の好きなように撮った、目的がないはずの写真の中に「邪念」を感じることがあります。こう撮ればウケるだろう、褒められるだろうというあざとさのようなもので、意図はある程度のキャリアがある人にはわかってしまいますから、気をつけましょう。
写真は、絵や楽器の演奏、スポーツなどと違って、初心者でもそれなりの完成度があるように錯覚しがちです。あなたがヴァイオリンを買って一日目と、プロのヴァイオリニストの演奏は同じに聞こえるはずがありません。それははっきりわかるのに、カメラを買った初日に撮れた写真を「プロと同じに撮れた」と勘違いすることはあるのです。
その誤解が「できていると思っている部分」に評価軸をねじ曲げていきます。家に猫がいる人は「猫のいる穏やかな風景を撮っています」と言いますが、もちろん猫を撮ってもいいんです。しかしそこに1ミリでもサボリを読みとられてしまってはなりません。もしあなたが犬派で犬を飼っていたらそれを撮っていたのかもしれませんから、そこに猫がいたという理由だけでは何も「選択」していないということです。
写真を見る人が反応しやすいのは、困難な被写体です。エベレストとか、ジャングルの奥地、南米のギャングなど、「よくそんなところで撮れましたね」と、写真の内容よりも先に行動力が評価されがちです。なぜかと言えば、そこに言及するだけならアートの批評眼が不要だからで、写真のことを真剣に考えている人は、「今までにジャングルで撮られた無数の写真の中で、これはいい写真なのか」という厳しい基準で判断します。「ジャングルに行って撮ったんですね、へー、スゴいですね」は写真の善し悪しではありません。
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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。