子育てとは:Anizine(無料記事)
いきなり自分の境遇を無視した書き出しですが、先日、こんなツイートをしました。
「お前は子供がいないのに、わかったようなことを言うな」と言われたことがあります。 自分の子供じゃなくたって周囲ができることはたくさんあるんだよ。だからベビーカーが邪魔だとか、公園で子供がうるさいなんていう人々は許せない。君たちもベビーカーに乗っていたんでしょう。
ある人の投稿を読んだからで、それは、子供がいない同僚が「自分には子どもがいないから子育てのことはわからないけど」と言いながらも、その人が休んだときに仕事をフォローしてくれる。それも育児に参加してくれていることなんです、という素晴らしい内容でした。
私はそれにとても共感します。自分の子どもであろうがなかろうが、関係なく、成虫の全員は幼虫を育て、見守る義務がある。生物として当たり前のことです。政府にも憤っていますよ。民間の支援団体なんかに頼らなければならないのなら何が国家なんでしょう。
私は母子家庭で育った経験がありますし、何より、子どもだった前歴があるのです。「お前は子供がいないのに、わかったようなことを言うな」と私に言った人は、みずからの子育てに疲弊していたことがあとからわかりました。でも、だからといって当事者ではない人が何もわからないと決めつけるのはいささか乱暴だと思います。なぜなら、私は子育てをしたことはありませんが、子どもとして育った経験が紛れもなくあるからです。
むしろ、親としての自覚を持とうとする人は「親であること」を重視しすぎて、自分が子どもだったときの記憶を塗り替えようとするマイナスポイントがあります。でもね、人間は幼虫からサナギを経て成虫になるのではありません。同じカタチのまま、脳味噌も大して進化しないまま、贅肉がやや増えたくらいの成長で、親になるのです。それは悪いことではないです。
子どもであった自分を忘れないように親になるのが一番だと感じます。
自慢ではありませんが、私は撮影で出会う子どもたちに好かれることがあります。理由ははっきりしていて、子どもは「遊んでくれる大人」と「怒る大人」を瞬間的に見分けるのです。私は精神年齢が6歳くらいですから、彼らにとって仲間に見えているのでしょう。飛行機に乗るときも航空会社のカウンターで「お隣に、小さなお子様が座っているんですがよろしいでしょうか」と聞かれることがあります。それを嫌う大人もいるのでしょう。しかし私は全然構わないというか、ラッキーと思います。仏頂面の偉そうな部長クラスが隣にいるより楽しいからです。
自分の貧しい外国経験からの印象ですが、日本ほど見知らぬ子どもに冷たい国は知りません。電車の中にベビーカーを持ち込むなとか、近所に児童館を作るなとか、そんな子どもに対する態度を外国で感じたことがないのです。まあ外国との比較をするとまた面倒なことになるのでやめておきますが、育児というのは国籍や人種などの垣根を越えた生物の根本的な部分ですから、そこがおかしいのは、嫌な言い方になりますが、本能が壊れているとすら感じます。
本当にビビたる金額ですが、毎月どこかの子どもたちが少しでも元気で、生活に困らないようにお金を送っています。私は母子家庭時代に貧しいと感じたことは一度もなかったのですが、もしかしたら、そのときの自分に向けてやりたいことをしているんじゃないかと思うことがあります。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。