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母を知らない子:博士の普通の愛情
保険会社勤務の知人が言っていました。
「犯罪というもののほとんどは、お金か男女関係が原因なんです」
ずいぶん前に聞いた話なので恋愛が「男女」に限定されていますが、愛憎の関係ということでしょう。犯罪とは欲望を具現化したものなので、人間の生きるうえでの原動力は、そのふたつに集約されていくのだと言えそうです。
そのふたつが重なることもあります。それが今回のお話で、保険会社勤務の知人から聞いた不思議なストーリーです。
北海道のあるベッドタウンにごく普通のファミリーが住んでいました。仲田健一、仲田ゆりこ、息子のヤマトの三人家族でしたが、悲しいことにサロマ湖近くのコテージに遊びに行ったとき、ゆりこが火事で亡くなってしまいます。ヤマトが二歳の時でした。健一とヤマトが湖に散歩に出かけて遊んでいると、しばらくして遠くにオレンジ色の光が見え、そこに向かって消防車が何台も走っていくのが見えました。ふたりがコテージに戻ってみると建物は跡形もなく全焼しており、料理をしていたゆりこは帰らぬ人になっていました。ヤマトが小さくて事情が理解できなかったのがせめてもの救いです。
健一はひとりでヤマトを育てていましたが、五年ほどして、東京から来た観光客の静香と知り合って再婚することになりました。ヤマトは七歳になっていました。
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「ヤマト、東京に引っ越すけど、大丈夫か」
「うん。たぶん大丈夫だと思うよ」
「静香さんも一緒なんだけどいいかな」
「それくらい僕もわかってるよ」
「そうか。安心した」
三人は東京で暮らし始めます。健一は悲しい過去をリセットしたくなり、生まれ育った北海道から、誰も知り合いがいない東京に来ました。電気工事の仕事をしていたのですが、とても腕のいい職人だったと言います。東京でもすぐに仕事が見つかり、質素な生活ながら新しい家族三人は幸せそうに見えました。
三人で銀座を歩いているところに声をかけてきたおばあさんがいました。
「あれ、ゆりこさん。何十年ぶりかね。帯広の貴行の結婚式以来だね」
健一は無視してその場を離れましたが、家に帰ってからも、ヤマトはあのおばあさんがママを「ゆりこ」と言ったことを不思議に思いました。ママは静香で、亡くなったママが「ゆりこ」なのになあ。何十年も会っていない人がどうしてママを見てゆりこさんと言ったのだろう、と。
「パパ、若い頃のアルバムってどこにあるの」
「なんで」
「学校で宿題が出たの。パパやママの若い頃の話を作文に書くんだ」
「ないよ。ママの火事の時に全部焼けちゃったんだ」
「コテージに行ったんでしょ。どうしてアルバムなんて持っていったの」
「どうしてだろう。なんとなくだろうな」
「なんとなく持っていかないでしょ」
健一の過去がわかるものは何も見たことがありません。静香ママも同じです。ヤマトは両親の昔の写真を一度も見たことがないので、ゆりこママの顔はおぼえていません。
数日後。
「ほら、ヤマト。これは一枚だけパパが持ってる写真だよ」
財布から出した写真をヤマトが受け取ると、そこには若い健一と、見知らぬ女性が湖を背景に肩を組んで写っていました。
「この人が、ゆりこママなんだね」
「そうだ。静香ママが気にするといけないと思って、見せなかった」
「こんな顔してたんだね。僕には似てないみたい」
「そうだな。ヤマトはパパに似てるから」
その話を、キッチンにいる静香ママは黙って聞いていました。
ある日、ヤマトは学校でパソコンの授業が終わってからネットのニュースを見ていました。今は小学校からパソコンがカリキュラムに入っているそうですが、そこに表示された広告に載っていた女性の顔にヤマトの目が止まりました。その人は通販の健康器具を持ってにっこりしています。
「これ、ゆりこママだ」
パパが見せてくれた写真と同じ顔をしていました。何年も前に死んだ人を広告で使っているのがおかしいことは七歳のヤマトにもわかります。もしかしたら、ゆりこママはまだ生きているんじゃないか。アルバムは全部焼けてしまったというのもなんだか嘘のように思えてきます。パパは僕を傷つけないように作り話をしているのかもしれない。きっとそうだ。
「ねえパパ。もしかしてゆりこママは生きてるんじゃないの」
「どうして。そんなことはないよ」
「おかしいなあ」
「くだらないことを言うなよ」
「そう言えば、ママは何座だっけ」
「何座ってなんのこと」
「星座だよ」
「そんなこといいから、ご飯よ。ふたりともテーブルについて」
静香ママは健一に「あの子は勘が鋭いわね」と言いました。その言葉通り、ヤマトはママが使っているノートパソコンを開き、「3月生まれ 星座」と検索している履歴を見つけました。
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保険会社の人が言います。
「この話、どういうことかわかりましたか」
「いえ、全然わかりません。ゆりこママという人は死んでいるんですよね」
「説明しましょう」
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。