あなたは貧乏ね:博士の普通の愛情
僕はお金の計算が苦手だ。その理由はいくつか思い当たる。お金に対する感覚は一生変わらないものだと思っているから、変えようとしても無理だと諦めている。みんなお金についての勉強を必要に迫られてするけれど、本を数冊読んだくらいではなかなか感覚までは変わらない。
確かに勉強すれば知識は増えるだろう。でもそれってスポーツ観戦に行き、だんだんルールやプレイの意味がわかっていくことに近い気がする。本当はわかった気になっているだけなのに。でも、スポーツの本質は、ボールを打った感触とか、ジャンプして着地に失敗したときの足首の痛みのような瞬間にあるんだと僕は信じている。
雑学という言葉があるけど、身も蓋もない日本語をもう一度翻訳した言い方をするなら「雑な学問」ということだ。断片的なパーツの知識を寄せ集めても完成品にはならない。なぜならそこには全体を関連付ける「体系的な力学」のようなものが不足しているからだ。いくらホイールキャップとタイヤのスペックに詳しくても、アライメントを知らなければクルマは組み立てられないし、真っ直ぐ走らせることはできないだろう。
このとき怖いのは「アライメントの存在を知らない」ということだ。
「それで、何が言いたいの。わからないんだけど」
「だよね。僕は女性の前に出るとアライメントの存在を知らない男になるんだ」
「お金の話はどこに行ったの」
「ああ、そうだった」
僕は彼女の前で、いつもこんな調子だ。
「この前、君は僕に、金銭感覚がおかしいと言ったよね」
「言ったっけ」
「言ったよ。言った方は忘れていてもその言葉に傷ついた方はおぼえている」
「大げさ」
「大げさじゃないよ。君は僕に金銭感覚がおかしいと言った。でもそれは批判されるべきものかな」
「別に批判はしてないつもりだけど。それが琴線に触れたのなら謝る」
「金銭とのダジャレだと思うけど、琴線って、いい意味のときにしか使わないから」
「はいはい。面倒臭いな」
「具体的に何がおかしいのか教えて欲しい」
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。