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令和の福田村:Anizine
ソーシャルメディアがなぜ「ソーシャル」なのかを考えると、ひとりひとりの個人が世界のグルーヴを作り出しているのが、つぶさにわかるからだと思っています。「世界」と言ってしまうと急にプーチンだとかトランプの話だと感じてしまいがちですが、最小の構成要素はひとりひとりの個人であることを忘れがちです。水の分子は海の大きな波になることもあれば、コップの中にも収まります。
元日早々から続けて起きた多くの出来事への反応を見ていると、自然の恐ろしさや、テクノロジーに対する過信の怖さ、災厄への人の無力さを思います。ソーシャルメディアに流れて行く膨大な「ひとりの意見」は善意のカタチをしていることもありますが、時に二次的な暴力を生むこともあります。デマや誤情報も散見されます。私たちは門外漢であるときには、沈黙しなければならないということを学ぶべきで、ソーシャルメディアで個人のウォールに書き込むときも、その小さな動きはバタフライ・エフェクトに荷担すると知っていなければなりません。
星新一さんの小説だったか、何も知らない人々の数人の日常的な行動が殺人を引き起こす、というのを読んだことがあります。依頼主から「長電話をする」などのささいなことを頼まれて、それが連鎖することで結果として人が死ぬというものでした。何かをした全員に罪の意識はないのですが、殺人に至る経緯に参加してしまったことになっています。
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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。