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いやらしい承認欲求:PDLB

承認欲求という言葉はあまりいい意味で使われることはありませんよね。「あいつは承認欲求が強いから面倒くさい」とネガティブな場面で出てきやすいものです。しかし人が生きている上で「自分のことを認めて欲しい」と思う欲求はそれほど悪いことでしょうか。むしろそれがまったくないように隠しているほうが不健康な気がします。

先日、30代前半で年収が数十億円になった人がアジアのリゾートに移住した話を聞きました。彼は投資による収入だけで暮らしていて、「もうすでにお金がお金を生むサイクルなんですよ」と言っていました。生活の糧を得る方法は人それぞれですが、いい年になっても馬車馬のように働いている自分を振り返ってみると、そこには経済的な部分とは違う尺度も見えてきます。

「自分が彼と同じ状況になったらうれしく思うか」という問題です。

彼は極端な経済やプラットフォーム構造の変化がない限り、永久機関のようにお金が増え続ける仕組みを作ったのですが、彼と比較して経済的状況が劣っている立場からの自己弁護を除外したとしても、そのやり方では「承認欲求」が満たされない気がするのです。

私の仕事は誰かのために写真を撮ったりデザインをしたりブランディングをすることですが、「あなたに頼んでよかった」と言われることが8割の喜び、それによる報酬が2割のような印象です。偽善者じみた発言に聞こえるかもしれませんが正直な気持ちで、もしお金だけが目的ならこんなまだるっこしい仕事は選んでいません。『クリエイションを仕事にする喜び』は、自分の能力や人格を肯定してくれる人が増えるほど、経済が潤う職種だからです。

仕事に対する感情は、
1.やりがいがないのに、給料が安い
2.やりがいはないが、給料は高い
3.やりがいはあるが、給料は安い
4.やりがいがあって、給料が高い
の4つに分けられますが、だいたいの人は1か3の部分にいます。

2でも悪くはないのですが、それでは承認欲求は満たされません。最初に書いた彼は、私から見ると何もしなくても収入がある2の状況に見えてしまいます。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。