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プライベートジェット:Anizine(無料記事)

落語の『雛鍔(ひなつば)』という噺が好きだ。落語にはいくつかのパターンがあって、これは『青菜』と同様、学のない人間が聞きかじったことを真似して失敗するというもの。お金持ちの坊ちゃんは小銭など見たことがないから、落ちていた四角い穴の開いた天保銭を「お雛様の刀の鍔ではないか」と言う。落語は庶民に社会の仕組みや教訓を教える教育的な役割があったというが、これはかなり含蓄があるストーリーだ。

いつもお金の話ばかりして、何かをすれば儲かる、何かをしなければ損をする、高級な、有名な、一流の、といった形容詞ばかり使う人がいる。それを恥ずかしく思わないのは、雛鍔の坊ちゃんのように「使うべきお金は十分にあるが、その存在を気にしたことがない」という生活をしていないからだ。

お金はチケットだから、自分がしたい何かをするために使える分だけあればいいはずなのだが、足りていない人はクレクレとタコラじみたことを言うし、足りているのにモットモットというフープルな人もいる。

もちろん自分がしていることが評価されてどんどんお金が入ってくるというビジネスを否定はしない。ただ不思議に思うのは、小銭持ちはだいたいやることが決まっている、ということだ。多分、自分の想像を超えるお金が手に入ったときにすべきことのボキャブラリーが、外車を買うことくらいしかないのだと思う。

これは完全に雛鍔と同じストーリーなのだが、ある代々続いたお金持ちの娘がインタビューでこう聞かれた。

「やはり移動はプライベート・ジェットですか」
「どういう意味ですか。プライベートじゃないジェットって何でしょう」

庶民のインタビュアーが想像できるお金持ちのボキャブラリーは個人用ジェットが限界だったのだろうが、彼女にしてみれば「パブリックなジェット」に乗ったことがないのだから仕方がない。別に自慢しているわけでもない。その反対に必死で働いて自家用機を買えるようになった庶民出身の小銭持ちの人々は「私はついにプライベートジェットを手に入れた」と言い回るのである。Facebookに書くんである。「今度、誰か乗せますよ」と取り巻きを募るんである。

そして、その周囲には「ぜひ、乗せてください」という正真正銘のクレクレタコラがうごめくのである。これ、一番悲しいよね。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。