見出し画像

小学生の頃と同じかな:Anizine

中学生くらいの時には、もうすぐ大人になってしまうという焦りを感じたものだ。ぼんやりと人生をサボって時間をやり過ごしているだけでよかったのが、子供という居心地のいい独房から釈放されるみたいに「責任が発生する大人」というシャバが目の前に近づいてくるのを恐れた。

子どもの頃は自分が大人になるなんて考えもしなかった。

そしてそれは57歳という、何食わぬ顔をして60歳に近いポジションにいる今でもまったく同じだ。50歳を過ぎ「映画の料金が割引になりますよ」とチケット売り場で知らされたときは、脳震盪のようなショックを受けた。俺は大人になった自覚が一度もないまま、赤いちゃんちゃんこを着る年齢になってしまう、と。

57歳と言えば完膚なきまでにクソジジイなんだけど、自分の中身が小学校5年から何も変わっていないのがわかる。外側は最新のiPhoneのふりをしているが、中身が昭和50年代の黒電話だとバレないように原宿の街を歩く。

これは詩だ。後悔でも懺悔でもなく、黒電話として俺は詩を生きる。

クソジジイは過去に拘泥する。自分が若いときは闇市で苦労したとか、食べるものがなかったとか、体罰は当たり前だったとか、どうでもいいことを言う。ノスタルジックな思い出話を燃料に若者に説教をするつまんないエンジンを積んだ大人を、俺はウンザリするほど見てきた。

若い頃はそいつらが敵の陣地にいたんだけど、今は味方の野営地にいる。俺はお前らと同じじゃねえ、と言い続けていないと知らない間に同じになってしまう。俺の黒電話は小学生から変わっていないから、ノスタルジックなクソジジイからかかってきた電話をガチャ切りだ。スマホだからガチャとはいわないんだけど。

本当は人間にエンジンなんかついていない。若い頃は誰かに引っ張ってもらって上空に連れて行ってもらう。切り離されたグライダーは優雅に若さを満喫するが、知らず知らず、年齢とともに高度が下がってくる。下がれば動力がないからもう一度浮上することはかなわない。だから上にいるうちに、もがいて下がらないようにしなくてはいけない。地上数メートルを低空飛行しながら、俺は若い頃には数万メートルの上空を飛んでいた、と自慢しても手遅れだ。

画像1

ビートたけしさんは今の漫才を見て「自分が若い頃だったら、彼らに勝てる気がしない」とよく言う。それは一見すると現役を退いた人の姿のようだが、実は違うと思う。まだ現在の若い人と戦うバトルフィールドに立っている気持ちなんだろう。だからベテランの審査員や評論家が、若者を鷹揚に褒めたり、未熟さを貶したりするよりも、自分の高度を維持しようとしているように見えるのだ。

子供の頃の俺のおじいちゃんは、今の俺よりも若かったかもしれない。おじいちゃんはもうおじいちゃんという世界を生きていると思っていたが、たぶん違う。今の自分を見ればわかる。小学校の先生は俺たちを囚人や家畜のように号令をかけたり、人生を語ったりしていたが、彼らが何も知らない20代前半だったと思うと、はらわたが煮えくりかえる。お前が言うなと。

俺が大好きなおじいちゃんの言葉。それは90歳の誕生日だった。

「ねえ、90歳になるってどういう気持ちなの」

おじいちゃんは、

「そうだなあ。小学生の頃と同じかな」

と言った。

ここから先は

452字

Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。