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進化しない中年:Anizine(無料記事)

中年論は面白い。若者には無限の可能性があり、老人には過去を振り返る味わいがある。しかし中年は、バリバリ仕事をしてチヤホヤされていた記憶と、今は世の中から求められていない、という現実との矛盾の海を手漕ぎボートで漂流している。その頭の悪いムードが面白いのだ。

私はもうすでに中年の時期も終わりかけ、江戸時代なら死後20年は経っている頃。だから「中年」をやや客観的に見られるようになったんでしょうね。自分の周りは当然中年だらけですが、いい中年と悪い中年に分けることができます。優劣となるとお金や地位の話になってしまうので、心地よい中年、そうではない中年、とでも言いましょうか。

誰でもそうだと思いますが、日々を楽しそうに過ごしている人を見るといい気分になります。そこで「あの人は楽しそうだからムカつく」という人は、みずからが「気分の悪い中年」だと思って間違いないです。他人の幸福な境遇をひがんだり嫉んだりするのは、自分がチヤホヤされていないことにダダをこねる行為です。還暦は子供に還るという意味ですが、幼児に退行しています。

実は、中年は人生の中でもかなりいい時期なのだと感じています。ある程度の経験の蓄積や金銭的な余裕が生まれ、若者のように猛ダッシュをするでもなく、お年寄りのように体の自由がきかないわけでもありません。つまり、一番アクティブになれる時期なのです。そのエリアやスケールは自分が決めることですし、恐ろしいことに自分が抱えている劣等感は全部他人から見えてしまっているんですよね。そうなると「気分のいい中年」からはどんどんかけ離れていきます。若者に若造だと言い、お年寄りには老害だと言う。自分だけを省いた、都合のいいポジショニングなのは明らかです。

かまやつひろしさんはかなりの高齢になっても若い人とのセッションばかりしていました。あれくらいの大御所であれば若者に「お前らは何もわかっていない」という老害になっても不思議はないのですが、つねに若いミュージシャンと演奏する刺激的なライブをしていました。亡くなる少し前に六本木の小さなライブハウスで観たときは、曲と曲の間、かまやつさんは壁に手をついてカラダを支えていたのでキツいんだろうなとわかりましたが、それでも演奏する楽しさが上回っていたのでしょう。私には「死ぬときは肺がんって決めているんだよね」と笑顔で教えてくれ、美味しそうにジタンを吸っていました。ゴロワーズじゃなくて。

楽しそうに生きるのに理屈はいりません。起こっている出来事を楽しく感じ取ることと、まだ進化の余地があると理解して努力することです。経験則というのは厄介なもので、自分が経験してきた『古い情報』という食材だけでどんな料理も作れると思い込みます。時代という海に流されているのが楽しい人は毎日が航海になりますが、焦りがありながら進化しない人は後悔になるのです。中年は駄洒落を言います。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。