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劣等感から自由になる:Anizine

ソーシャルメディアでのやり取りを見ていると、あの人は自分より偉いとか、下だとか、優劣にこだわる人が多く感じます。相対的な位置はつねに変化しますが、甲子園で優勝を経験した投手がいくら自慢しようと、あそこで優勝していない大谷翔平のほうが、今や格段に上の存在なのはご存じの通りです。

「人より上だ」と言いたい人の多くは、まず自分より下の集団を見つけてから話し始めます。その都合のいい不毛さに陥らないためには絶対評価を導入することです。「私は彼よりも背が高い」というのは相対評価であり、160センチと165センチのふたりが比較していることは、195センチの人からしたら意味を持ちません。自分の絶対評価を隠して相対評価に持ち込むレトリックを使う人を信用してはいけません。

あるアメリカ人が「日本人はなぜあんなにしょっちゅう洗車するんだ」と言うのを聞いたことがあります。クルマは移動のための道具である、というのが彼らの考えですが、日本ではクルマを持つことができた、という昭和初期の概念があったので大事に磨き上げます。ここには「モノを大事に扱う」のとは少し違う成分が混ざっています。ステイタスという意味で言えば、欧米でも高級車をピカピカにしている人々を見かけますが、それ以外のクルマはボロボロだったりします。ヨーロッパでは「バンパーはぶつけるためにある」というのが普通の感覚で、ごく普通の移動の足である庶民的なクルマを綺麗に保とうとしたり、ほんの少しでも他のクルマにこすられたら大騒ぎをするという感覚はありません。

自分がいいと信じる感覚には絶対的な自信を持つ、ということの大事さを感じます。それがないと相対評価の渦の中で自分を見失うことになるからです。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。