スライムを握る:Anizine
自分が35歳くらいになるまでに考えていたことはまったく世間知らずでアホの濃縮果汁還元100%だったと気づく。それは経験則原理主義で老害だと言われてもいいんだけど、事実だし自分の問題だから仕方がない。
今でも初めて仕事でニューヨークに行ったときのことを思い出す。そこで何もできなかったことや、他のスタッフは慣れているのに自分ひとりが何も知らなかったことに恥ずかしさしかなかった。もちろんその瞬間にも恥ずかしさはあったんだけど、今思い出すと二日目どころか30年目のカレーのように味わいが濃くなっている。
謙虚さを維持するためには過去の恥をセカンドバッグに入れて持ち歩いていなくてはならない。20代の自分がナショナルクライアントのマス広告という仕事に関わりながら、世の中の端っこくらいは理解できていると思っていた厚顔無恥さ。何度でも味わえる。この部分を歌詞にしたいくらい。50代になった今でも、「若者は何も知らないよなあ、アホだからな」と自分の姿を忘れないでいる。おっさんというのは自分が過去にアホの若者の構成員だったことを忘れて威張りがちだが、そうなると老害になるわけで。
お前、上半身裸じゃないか、まあ俺も下半身裸だけどな。
この植木等的な精神を維持していないといけない。先日、ある若者と話していたら、いかに自分が現代社会の構造に提言できるかを、便器っぽく言えばTOTOと語っていた。俺は過去の自分を思い出しながら、すでに第一楽章くらいで耳のまぶたを閉じ、「そう言えばあのTOTOのロゴを見たメンバーがTOTOというバンド名を考えたという都市伝説っぽい話があったな、で、あれは俺の先輩の深野さんがデザインしたんじゃなかったっけな」と違うことを考え始めていた。
どうでもいい例だけど、自分と直接関わる経験において情報量は年齢を重ねないと増えていかない。ボードゲームのシミュレーションを語るのは実際に実践をしてきた人からすると退屈なのだ。空想は空想でいいが、そこに現実の戦場を戦ってきた人にも驚きがあるものでないとまったく価値がない。
たとえば就活とか言っている学生も、「野球をやったことがないのにどのチームに入ろうかと考えている」わけで本人たちの真面目さはわかるが、ただ面白く観戦させてもらっている。こちらとしては、正直なところやらないと何もわからないよ、としかマイアミバイスできない。そもそも就職をするという一部分を近視眼的に見つめていると、その先に「ではどんな人生を送りたいか」というゴールが見えない。誰とも違う人生を送りたいんですよと熱弁されても、みんなと同じタイミングでエントリーシートを書いて、給料と見栄えの良さそうな会社を探している。どこに個性があるんだろう。
就職活動の活動って言葉にはどんな意味があるか。結婚したいから活動するのを婚活、妊娠するための活動を妊活、と呼ぶそうだが、活動ってDoだから、どの行為にも全部含まれている。もっと酷いのになると「就活生」なんて言葉を使う。どんな「生」に帰属してるんだよ。それがどうでもいい細かい言葉の定義だと思うならそれでもいいが、そういった言語感覚を最初に受け入れて疑問を持たずに帰属している人が成功した試しはない。
俺が好きな祖父の言葉は何度も書いたことがあるけど、彼の90歳の誕生日に「90歳になるってどんな感じ?」と聞いた。おじいちゃんは「そうだな。小学生の時とあまり変わらない感じ」と答えた。よく考えたら俺たちも20歳と21歳とでは何も変わらなかったし、60歳でも変わらないんだろう。それを聞いて、何か全身からチカラが抜けて楽になった気がした。
体験や経験がもたらしてくれるものは大きく、いくらスライムのことをネットで調べようが、あの握った感触を知らなければスライムについて何も知っていることにはならない。9月に久しぶりにParisに行ったけど、また1月にも無駄に行こうと思っている。当然、最初にニューヨークで恥をかいたことをセカンドバッグに詰めて行くわけだけど、そうやって20回30回とパリに行ってもあの街は俺にスライムを握らせてくれないほど奥が深い。
俺が尊敬する人はみんな世界中のスライムを握ってきた人たちで、その話は就活生が話していることよりも数億倍面白いし、それで何か世界を知っているとも言わない。つまり体験が多くてカッコいいんである。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。