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港区のイグアナ:Anizine

どんどん「本能が支配するプリミティブなこと」にしか興味がなくなっている私ですが、人間が生きる上で避けて通れないこととの矛盾について知人から聞かれたのでその答えの代わりになれば。

先日、Parisで犬の写真を撮りました。自分にとっての本能は写真を撮ることなんですが、気づいたことがあります。犬って『概念』ですよ。街の犬、友人の犬、なんて存在はいなくて、誰から見ても犬です。そこでちょっと雷が落ちた気がしました。最近はピットブルが骨付きの生肉を食べている動画や、ワニがシマウマを食べたり、コモドドラゴンがサルを丸呑みにするようなものばかり見ていました。哲学的な興味として不思議だったんです。

彼らはジャングルやサバンナで暮らし、犬やカナリアは人間の家で飼われている。そこに実は境界線がないということに気づきました。よく、「このネコのほうが私よりも美味しいモノを食べているよ」などと面白くないことを言う人がいますが、それは自虐でもジョークでもなく、ただの事実です。飼われているというのがわかりにくければ境界線が溶けていると言っていいかもしれません。イグアナのほうがわかりやすいので、後で説明します。

ペットを飼っているつもりが自分がどこにいるのかもうわからなくなっている、ってことです。この話はペットを飼っている人に向けての善悪を語っているわけではないので、無料部分だけで内容に反論しないようにしてください。デパ地下の試食品を食べて、「全然、量が足りない」と言う人と、気に入った商品を買って帰る人の満足の差を理解できない人には何も伝わることがありません。

さて、詳しい説明をしましょう。

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Anizine

¥500 / 月

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。