病気と手術:写真の部屋
「人は根本的な部分で変われるか」という話を、先日20代と50代の人としました。私はスイッチをカチッと切り替えた体験があるので、過去だけを知る人が今の私を見たら「別人だ」と思うかもしれません。それくらいの大きな変化でした。
「変化する者だけが生き残るらしいで、正味の話」と、ダーやんも言っていましたが、そんな立派な進化ではなく、私の変化の基準点は恥ずかしいことに自分のダメさ加減でした。このままでは生き残れないだろうという仕事面の不安や、ただただ自堕落な毎日を反省し、生き方を170度くらい切り替えたことが数回あるのです。
恥を認めるのは痛みを伴うもので、特に中年になってからの自己否定はこたえます。だからみんな「私は正しい、君たちはわかっていない」と自分の小さな成功体験から自己弁護をしたがりますが、そこが落とし穴。そういう人の声は落とし穴の底から「私は正しい」とエコーかかり気味で聞こえてきます。もしも正しさを証明したかったら仄暗い落とし穴の底からではなく、地上か山頂で言わなくてはなりません。いくつもある落とし穴を巧妙に避け、私はいま安全で価値ある山頂にいる、というのが説得力のある客観的エビデンスだからです。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。