「無料であることの免罪符はもうSNSでは通用しないのかもしれない」
自分の写真展などに連動するもの以外、講演やトークショーなどの依頼をずっと断ってきた。
友人には俳優や芸人がたくさんいて、いつも「仕事として人前に出る厳しさ」に触れさせてもらっている。自分が話すことでお金が発生するとは到底思えない。
ある落語家のエピソード。母親が亡くなった日の高座に上がる。「今日は長年付き合っていた女と別れて来ましてね」と言うと、何でもない顔で滑稽な話をして客を笑わせる。
極端な例かもしれないけど、仕事とはそういうものだと思っている。親が死んでも会社を休むなみたいに他人に強制されることではなく、自分の舞台を誇らしく思っているという意味でね。
「人前で話すような人間ではありません」と謙虚ぶってカタクナに断ることも、何かから逃げようとしている格好悪さなのかなと思ってギアをチェンジしたわけです。二速までしかないエンジンですけど。
その一つ目としてお引き受けしたが昨日の「やれたかも委員会」で、次は来週の金沢でのトークイベント。
https://www.facebook.com/events/2071821593088726/
自分が話したいことに価値があるかどうか、は「聴衆がいるのか」というエビデンスですべて判断できる。誰もいない空き地で街頭演説をして自己満足しても、それは伝わっていないし意味がないという残酷な事実。
SNSという公共の広場で何か発言するときも「俺がそれについて話すことを誰かが待ってくれているか」しか、価値判断の基準はないのです。誰もが評論家のようにあらゆるジャンルの時事ネタを語ることはできても、聴衆の期待がなければそれは無価値になる。
「無料であることの免罪符はもうSNSでは通用しないかもしれない」
昨日のイベント後に各分野のインフルエンサーたちと話してそれがよくわかった。「お金を払ってもこの人の話を聞きたい」と思われるのが大前提だということ。
「私は価値ある情報と見解を提供している」と自負している人たちはゼヒnoteで有料記事を書いてみてください。たとえ数百円であろうと、誰かが自分が稼いだお金をそこに払ってくれるかどうかは、とてもわかりやすい基準になります。
その確固たる価値をいかに作っていくか。いかに聴衆がいる事実を作るか。これはもうイカデンスと言えましょう。
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