晩夏、立秋
久しぶりに書いています。
風が変わり、これはもう秋ですか。
とはいえ、日中の日差しは尚鋭く、東京特有の湿度も、完全には蒸発し切らないようですね…!
私は、この人生に於ける概念の中で、『夏』が最もとくべつ!と心に留めているのですが、この偏愛が逆側へ効いてしまうようで、いつもあっという間に、ぼんやりと、至高の季節は過ぎてしまいます。
晴れ舞台に備え、体調をととのえ過ぎた結果、大病に罹るみたいな。
この夏も、とにかく丁寧に、心底いい思い出を散りばめてやるのだ!と決め込みすぎて、意外とアッサリ終了してしまった感じがあります…。
とは言いつつも、生きたぶんだけ綺麗な思い出は増えたし、じっくり生活を慈しめたことは事実なので、今年もたゆみなく夏が来て、また来年来てくれることの喜びを噛み締めるのみです。
この夏、私は28歳になりました。
年齢は関係ないですが、バースデー休暇が生憎の台風でして、何処へも出掛けられなかったので、部屋中の雨戸を大袈裟に閉め切り、真っ暗い部屋の中で、スーパーの安売りピッツァをたべながら、ずっと見かねていた映画を鑑賞したのも、ひどく愛しい思い出です!
(バースデーの頭上を台風が通過するのは慣れっこです!)
上に倣って、では無いですが、何事も『とくべつ』だと思い決め過ぎないこと。
これが人生に於いて、かなり重要なことだと、最近感ぜられます…。
例えば、ある目標に向かって、がむしゃらに突き進んでみたところで、その目標を『とくべつ』と思い決め込む人より、『通過点』としてふんわり捉えられる人の方が、最終的にずっと遠くに行けるような、そんな気がします。
勿論、後者にとっても『とくべつ』であることに違いはないのですが、重要なところでひとつ気を抜く勇気というか、自分を俯瞰できる余裕というか…。
私は将来、何処か東京以外の場所へ移住をして、生活するだけの人生を営むことが、ひとつの夢です。
今はそれを『夢』と呼び、『叶えたい』と願い、『とくべつ』なことだと語りますが、いずれ勝手にその時がきて、身体が動いて、身の回りがととのって、通過していけるといいなあと思います。
普段通り。
『無心』であろうとすると、『無心』という概念が邪魔して、却って思考が混み合うような、下手な難しさがそこにはありますが、最近はとにかく、本を読むことを意識しています。
文章に立ち返ることが、自分にとって最も自然な形であると、何十回、何百回と思い改めていることですが、今日も生真面目に、普段通り、本を読みます。
さまざまなものが電子化されて、所有する価値から、共有する価値へ変化していって、私もそれらを利用して日々充足していますが、本、それだけはどうしようもなく、実体を所有する価値、実質に触れる重みがありますよね…。
勿論、別の側面もあるだろうと思いますが。
澱んだ心を黄金の粉が吹くような、そんな一冊、一文、一言に出会えたとき、実体をキュッと抱きしめて、この気持ちが風化してしまわぬよう、どうにか己に落とし込む所作を、そこはかとなく愛するからだと思います。
来週、あるひとつの夢を叶えてしまえそうな自分に、戒めの意味を込めて。