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更なる転機①


 こんにちは。もしくは、こんばんは。アユムです。
 さて、前回の記事で、僕の小学5年生位までのことを書きましたが、翌年、小学6年生の時に、多賀城市民ミュージカル『甦れ美し郷 貞観の大地震』に、次姉、妹3人と共に出演します。
 元々は、姉が舞台役者を目指していた関係でご縁を頂いていた多賀城市民ミュージカル。
 兄が亡くなる前年に、次姉、妹(我が家の5番目)が多賀城市民ミュージカルに出演していたのですが、その舞台を観ていてみんなが楽しそうに歌い踊り、真剣に演じる姿に心が動き、

僕もやりたい!

 と、思っていました。が、しかし、そのミュージカルは毎年開催されるものではなかったので、次の舞台がいつになるかは、誰にも分かりませんでした。  
 ですが、家族との死別という大きな悲しみの中にあった我が家を励ますか如く、僅か2ヶ月後に市民ミュージカル出演者募集の報せが届きました。
 父親が、家族にそれを告げると、みんな即答で出る!と決めてしまいました。
 その年の11月末の本番を目指して、3月から稽古が始まり、夏には市政30周年を記念し、世界的アーティスト『姫神』と地元の小学生とのコラボ企画で、

なんと、姫神の公演で歌ってしまいました。

 当時はその意味が分かりませんでしたが、よくよく考えると物凄い経験をさせて頂いたのだと思います。(そこから現在に至るまで姫神の音楽に魅せられています)
 夏の姫神公演を終え、秋の本番に向けて稽古は佳境に入り、大人の役者達と講師陣の熱も増していき、無事に1日2公演の本番日を終えることができました。
 という話は、実は余談で、この年に経験したことは、とてもとても大きな宝物なのですが、今回は、2回目?の僕の人生の大きな転機について綴ろうかと思います。 

高校を休学し、父との二人旅に出る

 そのまんまなのですが、これが思わぬ方向に僕も家族も動かしていくことに繋がります。

 高校生活1年間を終え、なんとか進級が決まったことを報せる手紙が届いた日の夜のこと。珍しく父の部屋へと呼ばれました。
 父曰く、
 「学校を1年間休学して、おとんと2人でヒッチハイクの旅に出よう」

???

 今回は言葉の意味すら分かりません。率直に言うと、
 「何を言っとるんじゃ、この人は……。」
 です。はい。

 父、更に続けて曰く、
 「コレ(父が考えたタオルと輪ゴムで作る、動物などの人形)を世界の文化にしたい。お金は無いけど、時間はあるから手始めに日本から周って行こうと思う。」

 色々と思うところはありましたが、最終的には自分で決断をし(そそのかされただけという話もある)、父との旅に出ることにしました。

 その旅の中で、沢山の人達に出会い、『出会いの瞬間』『思い・言葉・行動の一致』『背中(行動)を見せる』『考え方の重要性』『自分の目で見て、直に触れ、感じ考えること』など、とても大切なことを、父と、度の最中に出会った方々から学ばせて貰いました。
 この時の旅については、改めて記事にしようと思います。

 旅に出た2ヶ月後、父方の祖父が脳溢血で倒れ、旅は一時中断します。
 旅に出るために、母親の説得もし半ば強引に承諾を得たにも関わらず、

僕は、目的を見失います。

 特に何かやることがある訳でもなく、好きな時に起きて、好きな時にご飯を食べ、好きな時に寝る。そんな夢のような生活が1ヶ月も続いたある日。
 暇を持て余した僕は、”自分”について考え出しました。
  ”今の自分”と”なりたい自分”。将来の夢や”今の日本”など、図書館に行っては本を読み、考えたこと、感じたことをノートに書き出し言葉にすることを繰り返していたのですが、ある時から、「言葉にできないモヤモヤ」が自分の中にあることに気が付きます。

 旅の中断からは、3ヶ月が経とうとしていました。

次回はこの続きを綴ろうと思います。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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