眠れない夜にダラダラと。
語りを。
明日からまた一週間が始まる。
必要だと感じることが多くて、タスクが山積しているからだろう。
僕は、集中力のオン・オフ、集中の固定化(何かに意識を集中しておく)ことが苦手だと自分では感じている。
何か作業をしているとき、ちょっとした物音や動作音、視覚情報で作業から意識が逸れてしまいやすい。
ある程度、対策方法は心得ている。
意識の集中が途切れると困るときは、予め作業中に起こりそうな事をすべて想像して、その時の対応をすべて考えておく。
この対策が失敗することはほぼない。
あるとすれば「想定外のこと」が起きたときだ。
そういう時は、自分の想定の甘さを実感するし、「コレが起きるなら、こういうこともあるかな?」と考えるので、考えることは増えるばかりだ。
けれど、人間とは面白いもので、そういうことを繰り返しているうちに、段々とどのようなことがあっても、余り労力を割かずに適切な対処ができるようになっていく。
今、寝付けなくなっている原因は「蚊取り線香の煙」。
寝ようとする(眠れる)タイミングで上手く寝れないと、その後、中々寝付けなくなる。
話は変わるが、僕はたった1つだけ小学2,3年生の頃から続けていることがある。
「自死しないこと」だ。
クラスメイトと仲が悪かったわけではないが、色々なことやもの、人に上手く馴染めず、かと言って割り切ることもできず、「このまま生きていて意味があるのか?」「こんなに苦しいのなら死んでしまいたい」と強く思った。
しかし、僕は今も生きている。
「死んだらどうなるのだろう?」と考えたからだ。
その頃の僕には、死後の世界などは分からなかったし、そういった情報収集能力もなかった。
けれど、「僕がいなくなったら、僕の周りの人に、どのような変化が起きるか(どんな影響があるか)」は、何となく考えることができた。
その時イメージした、僕の周りの人とは(級友、先生、近所の人達、親戚、家族、普段は連絡を取らないけれど、年一回保育園の夏祭りで必ず会う友達のこと、何かしらで関わった大人や道路ですれ違う車を運転する人たち、近くの病院や交番、消防署の人たち)つまりは、その当時の僕にとっての「世界」だった。
この中のほとんどの人は「多少、悲しみはしても大きくは変わらないだろう」と思った。
だから、僕が「自死を遂行」するのに特に支障無かった。
けれど、「家族」は違った。特に、入退院を繰り返しながらいつも笑顔を絶やさない妹の影響は絶大だった。
とても身勝手な考え方、感じ方かもしれないけれど、「家族が悲しむだけ」で済むと考えることができていたなら、多分、(少なくとも生身の肉体を持った)僕は、とうの昔にこの世にはいない。
「悲しみのその先で家族がどう生きていくのか?」
と考えたとき、涙が溢れてきた。
「多分、一生、苦しみや後悔の念を抱えるだろう。」
そう、感じたのだ。
だから、僕は死ぬのを止めた。
「この先、どんなことがあっても自死だけはしない。」
そう心に強く誓った。
大人になってからも「死にたい」と思うほど、苦しいことは沢山あった。
けれど、「自分が自死をしたらどうなるか」というシュミュレーションはとうの昔に終わっている。(「僕にとっての世界」の範囲や関係性が変わっていても核心の部分は変わっていない。)
それに加えて、「スピリチュアリズムとの邂逅」も経験してしまった。
もう、自死はできないだろう。
自死をしたいという思考も働かないかも知れない。
けれど「自死の禁止」という戒めを解くつもりは今のところ、無い。
いつ、どんな理由で自分がそのような思考や状況に陥るかわからない以上、その戒めを解くことは、僕にとってとても危険だからだ。
所謂、小児鬱だったのかも知れないとも思う。
それを知る術は今はもう無い。
小児鬱だったかどうか分かったところで、「僕がした決断と経験」に何ら変わりはないのだ。
て、なんでこんなことを書いたのかというと、「僕は、『他人が見て「続けている」と感じるような続け方』で何かをし続ける」ことがとても苦手だからだ。
要するに自己弁護と自分への言い聞かせである。
現に、「一日一作品」を作り、SNSに投稿するという作業は1週間ちょっとで終わりを迎えた。(毎日やるとは一言も言っていないので、厳密には毎日やる必要も無いと思うし、「#一日一作品」と付けたからと言って、「何日間続も続けるもの」と考えるのは固定観念の為せる業だろう)。
まぁ、そんなこともあって、「自分が20数年続けていること」を書いてみたくなった。
「毎日生きる(自死しない)なら、生きている人はみんなやってる」
という声も聞こえてきそうだけど、生きることに対しての感じ方や辛さは十人十色だ。
自死に関して言えば、かなり贅沢でわがままな選択肢だと僕は思う。
「自死=最高の贅沢」だとするなら、僕はそれを20年以上我慢しているとても我慢強い人とも言える訳だ。
訳のわからないことを書いているうちに、眠気が少しずつ出てきた。
今日は、この辺で寝ます。
お休みなさい。6/12~6/13に日付が変わった2:30以降に書き始めた手記