コレは裁判官に観てもらいたいと言うより、裁判の本質を質す意味もある。
ずさんな捜査
フジテレビ「イチケイのカラス」が好評のようだ。昨夜、録画しておいたものを視聴して、こんなこともあるんだなぁ、と、いや、こうでなくちゃいけないんじゃないかと強く思った次第。
今回は、被告の過去にさかのぼる。
駒沢部長(小日向文世)の被告人質問で、起訴内容の矛盾に気づき、警察の捜査に疑問を抱く。そして警察に明らかにするよう迫るのだが、結局隠ぺいされてしまう。隠ぺいと言うより、捜査そのものがずさんなものだった。
そして、例によってこのドラマのキモである職権での再検証を行うことに。結果的に真相が明らかになるのだが、検察の起訴も異例の変更をせざるを得なくなる。
このドラマの面白いところのひとつだが、検察の苦々しい気持ちがにじみ出る。起訴内容を逆なでするように裁判官が質す。
結局、実際に被害者を殺害したのは、ここに立たされている被告ではなく、後に明らかになる被告の娘だった、という大どんでん返しの結末となる。
真犯人をかばって罪をかぶるという展開だが、この辺りはいかにもドラマ的ではあるけれど、現実の事件ではこのようなことはどうなんだろうと、思ったりもする。
実際に、身代わりで出頭するなんてこともあるにはあるわけで、ドラマとしても面白いのかも知れない。
先日、25年間服役した受刑者の実話であるドキュメンタリ番組を観た。一貫して「俺はやってない」と無罪を主張していたにも拘らず、結果的に冤罪だった。彼の人生は警察官・検察官・裁判官によって狂わされたわけだ。
彼が言うところの、検察が決めた「正しい」は「真実など関係なく正しい」とされてしまう、のような主旨で語っていたのが印象的だった。
一体この時の裁判官は何を根拠に無期懲役を判決したのだろうか、と、憤りさえ感じてしまった。検察の起訴状のみを「鵜呑み」にしたも同然である。
そんなこんなで、裁く側の「冤罪」を課すことは絶対に避けなければいけないという、このドラマの最大テーマで、非常に重大な部分を示している。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。