ジブリの幻影くさぐさ~私記8
ぼくがこの私記を書いていくことで実現したいことのひとつに、あのジブリの給与明細のことがある。事情を知らないひとは、ぼくの名前を検索すれば給与明細の画像が出てくるはずだ。ぼくの名前は、ネット上ではジブリの給与明細と深く結びつくことになった。あれを流通させた当時ぼくは、ジブリの給与の額さえ伝えればあとは見たひと次第の解釈にゆだねればいいと楽観的だった。
しかしあれから2年。あの給与明細はもっともっと知られていいと思っている。いくら25年以上前の新入社員の給与であろうと、ジブリの給与であることは確かだからだ。あれは決してデマ情報ではない。その金額は、ジブリという存在なり現象なりに幻想をいだいているひとにとっては絶望的に実際的な金額だったろう。あるいは、多少アニメなりジブリの事情を知っているひとだったなら、アニメ業界で例外的に社員制度を(新たな形で・新規に)採用したことに、ジブリの「良心性」を感じてシンパシーを感じていたりしただろうけれど、その現実的な金額を知らされて鼻白んだひともいるかもしれない。しかしアニメ業界全般の劣悪な労働環境を多少知っているひとなら、あれはあれで現実的な金額かなと思ったかもしれない。
あの給与明細ひとつとっても、いろいろな解釈のしかたがあったわけだ。
給料明細のこともふくめ、ぼくはこの私記を通じて伝えていきたいのは、ジブリという存在にまつわる幻想、幻影を、すこしでも「現実的に」照らしかえしてみたいという思いだ。それはいくらかは「偶像破壊」でもあるだろう。
だからツイッター(X)でも、このノート(note)でも、ぼくは微妙な存在としてとりあつかわれている。
というのも、ここに書かれていることはジブリのただの悪口でなく、現場にかかわった人間にしか吐けない「リアルな批判」だったりするので、それはジブリファンにとって正直耳ざわりな言葉だろう。しかしほかでは滅多に聴くことができない情報でもある。それを聴くか、聴くまいか、ファンとしては悩ましいところだろう。
いまぼくのアカウントをフォローしているのは数百人とか、数千人という「微妙な数」なのは、そういう「積極的に知りたくはないけれど、新しくなにが言われてるか一応チェックしておくため」という「アンビバレント」に複雑な思いが反映された、そういう数字なのだろうと思う。
いま2024年の8月最終週にあって、ちょうど2週連続、金曜ロードショーでジブリ作品が放映される。
この恒例行事の放送だって、なにか「自動的に・ベルトコンベア式に、するすると映像がテレビ上で流れている」わけではない。放映されるまでのいちいちに、きわめて人間臭く段取りが組まれているわけで、しかしこの《ジブリ×夏休み×金曜ロードショー》は恒例行事になってしまった感があるだけに、余計に「人為的でない、魔法のような」印象が強いものの、でもやはりそこには「透明ではあり得ない人間」の「人為的な介在」があることを、少なくともぼくは忘れない。
そう、ちょうど『もののけ姫』の製作が真っ只中のことだ。
絵コンテ制作が混迷をきわめているなか、スタッフの誰もが「この作品はどこへ行こうとしているのか?」という疑念につかれながら現場に携わっていたときのある日の夜のことだった。
残業しつづける何名かの作画マンの進捗を見守るために、現場を離れることができずに役目のぼくはスタジオをさまよい、あちこち徘徊しては時間をつぶしていると、その日が金曜ロードショーだったわけで、『天空の城ラピュタ』が制作ブースの片隅のテレビに、誰が観るでもなく放映されていたので足をとめて何となく観ていた。
それは『ラピュタ』の序盤部で、シータが天から落下している最中だった。ぼくは制作進行のブースで、観ているという意識もなく突っ立って見ていると、いつのまにかそばに寄ってきたのが制作進行の西桐さんで、
「こういう作品をつくってたときも、あったんだよね……」
とつぶやくと自分の席の方へ去っていった。
『ラピュタ』と金曜ロードショー、というとかならずぼくの脳裏に、この『もののけ姫』制作のさなか、スタジオの一角でひとしれず放映されていた『ラピュタ』のあの瞬間、西桐さんがつぶやいたあのひと言が忘れられない。
『もののけ姫』が先の見えぬまま制作されていたそのころ、スタッフの誰も、この作品の成功を予想していなかった。外野の一般ファンが、『もののけ姫』の予告編を見てどんな期待を抱いたのか知りたいところだが、現場で携わっていた者としては「ひとつの賭けに携わっている」という意識というか、「大丈夫か、この作品?」と思っていたスタッフはかなりいたはずだ。
実際、西桐さんのあの言葉は、『娯楽性を断ち切ってしまったこの作品(もののけ姫)につきあっているオレたちは、いま何をしているの?』といった感慨だったと、勝手に翻訳しても、さほど間違ってはいないだろう。
その不安はスタッフの多くがこの『もののけ姫』に参加しながら感じていたことだったと思う。
この私記はどの程度続けていけるのだろう。何らかの横やりが入る可能性は大いにある。
忘れずにつけくわえて言っておくと、『もののけ姫』が完成したとき、公開に先立ってスタッフに見せた試写のとき、観終わって試写室から出てきたスタッフたちの表情が一様に、戸惑いを隠せないものだったことや、探るようにお互いの顔を見合っていたのが、今でも忘れられない。
公開されるや異例の大ヒットとなった『もののけ姫』だが、前評判など一切抜きで・しかし制作過程のいちいちに携わって完成していくプロセスに立ち会った当のスタッフが、まさかあんな、あまりかんばしからぬ反応だったとは、公式的な情報のどこをさがしても、見つからないことだろう。
ぼくはそういうものも見てしまったので、ここで記しておくというわけだ。
今日はここまで。
そして、次回は。
前へさかのぼると、