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反ジブリ、反クライスト~私記11

 ぼくはジブリの若手演出塾『東小金井村塾』で塾長の高畑勲にかみつくように討論を挑んだ。その果敢さがスタジオにも広がり、宮崎駿はぼくをスタジオに雇い入れることにもなった。
 あれから四半世紀を経て、宮崎さんがぼくを雇い入れた企みとぼく自身の意気込みはすれちがっていたと言わざるをえない。
 宮崎さんは「ちょっと生意気な、見込みのあるやつ」ぐらいな気持ちで雇ったのだといまなら思う。自分にはかなわないと終生思わされてきた高畑さんと、さしで議論を挑むようなやつ。
 しかしぼくの方はどうかというと、もっと過激な役割を求められてきたと勘違いしていた。「アンチ・ジブリ」だと。実際、ぼくはジブリにアンチをつきつけるようなつもりで、アニメ塾で高畑さんに挑んできたつもりだった。
 そんな風に思っていたので、ジブリへの入社を宮崎さんに打診されたとき、「アンチ・ジブリがジブリの内部に迎え入れられるってどういうことだろう?理屈として矛盾してないか?」と悩んだ。ジブリのなかにいてアンチ・ジブリとしてふるまうのは無理がないか?と。
 宮崎さんとしてはそこまで激烈な反抗心をぼくに求めてはいなかったといまならわかる。しかしぼくは、「ジブリにいて反ジブリであることを求められている」と思いこみ、ずいぶん無理をしていた。
 かといって、ジブリに在籍してそこそこに反抗心のあるやつになれと言われても、いやそこまで迎合するつもりはないけどなあ、といまでも思いますが。
 ★
 だから当時のぼくは(『もののけ姫』の制作下で)宮崎さんに対しどれだけ気のきいた発言、スタジオに染まらない発言をするかと躍起になっていたいた。恥ずかしいかぎりな告白になる。
 いまでも覚えているのが、宮崎さんと制作のスタッフが『ドラゴンクエスト』の音楽について話題にのぼらせているのを、演出助手としてそばで聞いていて、「あのゲームの音楽ってなんであんなに民族音楽的なんだろうね」と宮崎さんが言ってるとき、ぼくは「ロールプレイングゲームは、文化人類学や民俗学あるいはウラジミール・プロップといった民話分析と密接に結びついているからではないか?」と思って、いいタイミングで言おうとしながら、まだ新入社員として馴れない立場なので、宮崎さんたちの会話にうまく切り込めなかったのだった。
 こんな些細な言いそびれをいまでも覚えているのだから始末に悪い。
 ★
 ぼくが宮崎さんにクリティカルヒットをくらわした一件も覚えている。
 宮崎さんは『もののけ姫』の絵コンテの進展に苦しんでいるときで、気晴らしのつもりだったろう、レイアウト用紙にさらさらっとラフ絵を描いて、
「おい、石曽根、これ、どう思う」と呼びつけた。
 デスクから立ち上がって宮崎さんの席までかけつけた。差し出されたレイアウト用紙を見た。
 ジャングルのように草木が繁茂している様がローアングルで描かれていた。しかしそのジャングルはクローバーでできていた。
「毛虫のボロって企画だよ。毛虫の視点から見た風景だ」
 宮崎さんはいささか照れくさそうに言った。
 ああ、なるほど。確かに毛虫大の視点に立てば、クローバーの芝生もこんなジャングルに見えてくるんだなあと、その喚起力に驚かされた。葉のひとつひとつが肉厚で、雨上がりなのか、葉に重そうな水滴をたたえてこらえているものもある。
 しかしぼくは、ここで圧倒されてはならないと、反射神経的にみがまえた。ぼくは反ジブリとして雇われたのだと。ぼくはとっさに思いついたことを言った。
「この作品で、毛虫はしゃべるんですか?」
「そりゃ、しゃべるだろう」
「虫にしゃべらせたら、台無しでしょう」
 宮崎さんが瞬間的に怒りをおさえ、ひきつった顔で笑った。
「お前にゃ、わからんか」
 いま、当時のことを振り返って思い出し、書きつけてみると、いまさらにその青くさい反抗心に身がよじれて、もだえてしまいそうな気分になる。書き続ける気が失せそうなほどだ。
 この一件があって以来、宮崎さんは明らかにぼくへの警戒心が高まった。前回書いたエボシの生死の去就についてぼくには意見を聞かなかったのも、その延長上にある。
 ぼくは宮崎さんが望んでいる以上の程度に「反」でありすぎた。
 ただ、いまでもぼくは、毛虫のボロは「しゃべらない方がいい」と思っている。
 毛虫の視点に立って、われわれ人間には目の届かない地平の低さを実現するのであれば、毛虫に人間の言葉を言わせてはいけない。その大胆な想像力の地平を、言葉という媒介物によって、「人間的」な納得感へと回収されてしまっては元も子もない。
 そういった商業主義・わかりやすさに屈しない。あるいは高畑勲ならそう考えただろうとも思う。
 その後ジブリ美術館用の短編作品として『毛虫のボロ』はつくられたのは知っている。また聞きな情報では毛虫はしゃべっているようだ。ぼくは求められるべき役割を果たすつもりで意見を言ったが、宮崎さんはその辛辣な意見を忘れてしまったようだ。
 アンチ・ジブリとして雇われたぼくが、最大の胆力をこめて発言したのは、いま思い返せばあの毛虫のことだった。宮崎さんのレイアウトの喚起力の凄味に絶句しかけながら、言うべきことを言った。しかしこの一件を思い出すたび、ぼくは無残な気持ちになる。ぼくを雇い入れたそのかけちがいが、この一件に収れんしているといまでも苦く思い出す。

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