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あまりに地味で、あまりに長く~ジブリ私記12
少しジブリから離れた回想をまずは始めました。
最終的にはジブリの話に戻りますが、さらにそこから逸脱してぼくがいま関心を持ちつつある「アニメ原論」の話へと発展していきまいた。
この全体(3部構成)の全部に興味を持つひとはいないでしょうが、とりあえず公開してみます。
★01~テレビの現場を見て
ぼくが進学の決まっていた大学院を蹴ってジブリに入社することが決まるや、両親は戸惑ったらしい。
母親は興信所に依頼して、ジブリが信頼に足る会社か調べてもらったらしい。アニメファンからしたら笑止な対応だろうが、まだあの当時映画好き、アニメ好きでなければジブリの存在はさほど有名でなかった。ジブリが国民的な認知を得たのは『もののけ姫』あるいは『千と千尋』あたりからだろう。
依頼を受けた興信所は、ジブリが優良な(未来有望な)会社だとお墨付けをして回答としたそうだ。
母は長年クラフトの店を切り盛りしていたが、『もののけ姫』が公開されるや、どう存在を知ったのか、ただの演出助手にすぎなかったぼくのサインを求めに、母の家業へ客として現れたそうだ。そういうのが何件か問い合わせがあったらしい。ひとりは相当なファンになったらしく、自作でサンの面をつくってそこにサインをねだったという。
父はというと、やはり存在の知れないアニメスタジオに入社するのに心配になって、昔からの友人のテレビマンに相談をした。まだ入社前の話だ。そのテレビマンはかつてアニメーションの脚本なり制作進行の仕事をしていた経験もあり、また旧友の頼みとあって、ジブリ入社前のぼくにテレビの世界を経験させてやろうとひと肌ぬいでくれることになった。
そのテレビマンは構成作家としてかかわっている日曜昼のワイドショーの制作風景を体験をさせようと、ぼくをテレビ局社内に連れ込んでくれた。ぼくは珍しい場所へ連れ込まれて、スタジオの裏やプロデューサーの詰めるブースを行ったり来たりした。
楽しみつつも、番組直前の最終打ち合わせでメインキャスターが形式的な修正を提案してきてスタッフ一同もしたり顔で形式的にうなずいていたりする段取り仕草に、どこか形骸化した序列意識に鼻白んだりしたり、打ち合わせ室からスタジオへ移動しようとすると突然廊下で横並びさせられたと思うと、明石家さんまが躁状態でしゃべりながらお付きのスタッフとともに廊下を闊歩するのに黙礼させられ通過するのを待たされたりなどしてので、「テレビはちょっと風に合わないな」と思ったりした。父の旧友のテレビマンはテレビ局見学が終わると夜が更けていて、そのままオカマバーへ連れられた。ぼくは女性経験の乏しい若年男性として、さんざんオカマたちにからかわれた(もう30年以上前のオカマバーでのことだ)。
テレビマンにしたら、こういう半分狂騒状態で生を楽しむのがテレビマンの醍醐味だと伝えたかったらしい。実際、ぼくがその気になれば、テレビマンの斡旋で、その担当する番組の下働きとしてコネで採用されるだろうことは分かっていた。
しかしテレビ局の形骸化した序列意識と、どこか浮かれた気持ちのざわつきが、ぼくには向いていないと、オカマバーでもまれながら痛感した。ここはぼくのいる場所じゃないなと。
テレビマンはオカマバーでバカ騒ぎがちょっとおさまると、ぼくがジブリに入社しようとすることを明確に否定した。
「地味で、むくわれない」。それがテレビマンがアニメ業界に進もうとするぼくを引き留める理由だった。アニメーション業界とテレビ業界を比較しながら多少知って身として、アニメーションはとにかく華やかにさ欠けると明言した。まだ『もののけ姫』前夜であり『エヴァンゲリオン』前夜での発言だったことを差し引いて聞くべき意見だ。国民的なブームが席巻する前のアニメーションを指してそのテレビマンは言った。
しかしその逆の華やかさが、こういったオカマバーでのバカげた打ち上げや、敬意のかけらもないお笑い芸人に形骸的に脇によけて黙礼することで成り立っているとしたら、それこそ「虚飾」でしかないと、その一日の経験を振り返っていた。
★02~アニメという現場の地味さ
別にそのテレビ局体験があって、ジブリを選択したわけではないけれど、ジブリに入ってみて、ときどきあのテレビ局体験を思い出さないわけではなかった。
そしてそのテレビ局体験を比較するつもりがなくとも、ぼくは研修期間の最初の3ヵ月、またジブリに在籍していた2年間をつうじてことあるごとに、
「ここは、地味だなあ」
と(いい意味で)思った。
華やかな俳優たちや芸人がそのスタジオを闊歩するわけでもない。その代わりに、知る人ぞ知る超絶アニメーターが黙ってしこしこと机に向かって、出来上がったら度肝を抜くだろう作画を、地味に仕上げていっている。
スタジオは、テレビ局のスタジオのようにわざとらしい笑い声やざわめきも起こらない。(作画ブースの場合)鉛筆を走らせる音が何十人分もあつまって、鉛筆の音というより無心に黙って仕事をしている「熱感」が、スタジオのブース全体の底から、じわじわと伝わるような、そんな心地よい静けさが走っていた。ときどき誰かが鉛筆を電動削り機にさしこんで、ガガガと軽く音を立てるのがよりその場にふさわしかった。
そういう静けさの中の無心な作業の中心に宮崎さんがいた。他のアニメーターたちがCDウォークマンの音楽をイヤホンで聴いていたなかで、宮崎さんだけがラジカセから音楽を低くかけっぱしで、灰皿はあふれそうで、机には乱雑に原画と集成用紙が重なり、机の棚には懸案の作画がタイムシートで束ねて入れてある。根比べのように安藤さんも無心でへばりつくように鉛筆を走らせ、高坂さんは軽やかなたたずまいで修正をいれていて、宮崎さんの両脇をかためている。
地味だな、と思う。この無心に一枚一枚を地味に仕上げていく無言の作業から、驚くようなスペクタクルな、あるいは堅実な仕事が仕上がっていく。華やかさはどこにもない。
でも、自分にはこの地味さが性に合うなと思った。地に足がついているとは、こういう仕事だと思った。それでいて自分はいま、とてつもない作業に携わっているという静かな興奮もあった。
ぼくは自分でもついつい、ジブリの現場やジブリの作品に対し、点が辛くなることを想起しがちだが、ジブリの現場の地味さに関しては、言葉を尽くしても言い表しきれない「よさ」を感じ続けていた。
作品の仕上がりだけを知っている、つまり商品としてパッケージ終了したものだけでアニメの面白さを云々しているふつうのファンなりマニアに対しては、あの現場の地味さを(想像だけでもいいから)その作品の価値の一端として感じ取ってほしい、そういう気持ちがある。
たとえば細田守さんの作品だって、その地味だろう現場込みでぼくはいつも、あの「平熱感あふれる」作品を評価してしまうところがあるし、シン・エヴァだってぼくには合わない作品だと思っても、あのひとつひとつの驚異的な作画が地味に・無心に、机にむかってこつこつと仕上げていくプロセスあってこそなのだと想像せずにはいられない。『この世界の片隅に』をぼくがいまいち好きになれないのも、もしかしたら、その制作現場の地味さ、作画机で没頭する作業感へのフェティッシュな手ざわりが感じられるからかもしれない。
★03~アニメ原論の試み
『アニメという労働』は実に地味だ。作画机に没頭するアニメーターなり美術スタッフなりの姿を傍観的に見れば、修行の様にすら見えないこともストイックさを感じるだろう。
一方、作業している本人からすれば、そのダイナミックに暴れる創造の力にとりつかれて、ときに疲れながらも、それが第三者にまったく伝わっていないのを知ってその落差にちょっと戸惑うかも知れない。
しかしその躍動する想像力の実現は、作画用紙なり画用紙なりセルだったり(今や)データとしてのレイヤーだったりに定着する。それは高度に難解な古文書のようなものだ。ぼくを含め、多くのファンからすれば単純にその凄さに舌を巻くのだが、その難解さを読み解ける力量があるスタッフないし演出家だけが、それに修正の痕跡を刻み込めるのだ。
現物なりデータとしての紙そのものは静的な・静かに沈黙を守る文書でしかない。それがどれほどの想像力を喚起するものであるかは、映写なり映写システムを擬態した再生機構にかけたときである。しかし、再生システムにかけずとも静止画のままその想像力をいちから立ち上げたり、修正という形でリファインできるのは確かな技術に裏打ちされたアニメーターだったり演出家だったりする。
動いてしかるべきものを「静止したまま・検討できる」それが『アニメという労働』の特殊性かも知れないと、いま書きながら思いついた。
もう少し考えてみよう。
もちろんいま想起しているのは、制作現場の作画部門の話であり、美術や仕上げや撮影を考慮にいれていない、そういう限定された話である。
『作画という労働』は(原画であれ、動画であれ、作監なり動画チェックであれ演出であれ)、同じような形をしたもの(キャラクター、小道具、エフェクト)がA、B、C、D……という形で「同じ」でありながら「少しずつ形が異なる」ものへと変容することによって、キャラクターは歩き、小道具は移動したり形をかえ、爆発が起こる。
そういう作画をするためにアニメーターはたとえばBとCを重ねて行ったり来たりする。BとCの異なりを描きつつ、BとCが同一物であることを担保する同一性を痕跡も同時に描きこむ。ときに応じてAとBへさかのぼったり、AとCの連続/非連続を描きこむ。
それは常に『複数の絵を同時進行で描く』ことが必須作業である。アニメーターはBならBの絵だけに専念するわけにはいかない。Bの絵を仕上げるために、Aの絵が存在しなければならないし、またAとは位相が違うかたちでCはBと共在しなければならない。
アニメは「常に2枚」もしくは「常に3枚」の絵が根拠になる。絵画のように「常に1枚」で成立・完成するものではないし、コマ撮りアニメのように「常にAがもはや動かせないのを受けてBそしてCへと(不可逆的に)移行する」創造芸術とも違う。セルアニメは(コマ撮りアニメとは違い)常に「可逆的な」制作プロセスを経る点でも興味深いメディアだ。
またアニメは一点ものの絵画と違うだけでなく、彫刻とも違う。彫刻はいろんな角度から鑑賞されうる。それは鑑賞者の自由に、見つめる動線の無限の可能性が保証されている。
そう考えると、アニメとは「動く絵」でありながら、彫刻に比べて「有限性」であるし、もっと言えば「一回性」のものである。「こう見て欲しい・切り取り方」でしかその動性を提示しえない。
アニメと彫刻を比べるのは面白い観点だろう。アニメは彫刻にくらべて「有限性」「一回性」という面で区別がつくものの、彫刻は「無限」に見方を変えても「同じものを見ているという担保」がある。しかしアニメはA、B、C、Dと違う絵を連続して呈示することで「変形」していると感じる。「同じものが・同じではないものになる」そういう契機を常に感じとる。
そう区別をしてみると、彫刻の「同じ・同一性」とアニメの「同じ・同一性」とは、その「同じ性」が違う。
そもそもアニメに「同じもの性」を発見したのは、おそらく(近年では)ぼくの特色だと思う。
アニメはつねに「変形」するものだと思われているのが一般的だ。そして理念として「変形がアニメの特色だ」と思っている(特に短編アニメ・実験アニメ)作り手は多くはいて、そういう作り手は「いわゆる(研究者の言葉を借りれば)原形質のアニメ」つまりぐにゃぐにゃと動きがやまず、形Aから形Bさらに形Cと次々に形を変えるこ作品がいまでも多い。ライオンが形を変えて、女性の顔になったり、その女性が口を大きく開けて、その口の中にカメラが入っていくと、その奥に山の連なりが現れてきたりする。
いまアニメの研究者にはこういった「変形」を主とする「原形質型アニメーション」に「アニメの本質」があるとする言説が多いけれど、それは端的に間違いであって、「変形」と「同じもの性」の両者を視野を入れないといずれ論として破綻する。
そしてぼくの場合(アニメ研究者のひとりとして)、この「同じもの性」と「変形」の揺れ動きの作業は、そのままアニメーターの労働・作業そのものと相即な行為として見ようとしている。
「同じものが少しずつ変形しつつ、同じもの性を保つ作業」に携わるとはいったいどういうことか。それをスタジオの一角で机に没頭する労働とはいったいどういうことか。それは確かにしんどい作業であることもあるだろうし、一方で堅実で足のついた作業に(ぼくには)思えるのはなぜか。
強引にその思いを、(比べる形で)芸能界の「虚飾さ」と比較したら何が見えてくるか。
実際、表面的に単純に、それらは「コンテンツ」として「芸能界からつくられたもの」であろうと「アニメスタジオでつくられたもの」であろうと、「エモい」という点で同じように「消費」されている。
ひとが紙に描きこむ描線だったり、タブレットにタッチして描かれたその描線の集積からなる「人=キャラという絵」が織りなす人間ドラマと、「芸能人という生身の人間が配置され、動きを伴う」ことによって展開される人間ドラマとは、どう違い、どう同じだろう。
そこでもまた「同じ」と「違う」の両方を感じ分けながら消費なり享受しているはずだ。
もちろんある種の原理主義的な目論みをもつ批評家なら「それは表象として・消費対象として同一である」と裁断するひともいるだろう。
そういう割り切り方ができるひともいるとは想像はできるが、ぼくのアニメの見方が基本的にスタジオの現場から始まっているだけに、「表象そのものから見えないもの・潜在性」が気になってしまう。
いかん、私記では全然なくなっている。
しかし私がアニメでさらに深掘りしたい論点がすこし提示できたので、長文ですがこのまま公開します。
まだまだつづきます。
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